TOKYOガイジン、ビガロの“ディス・イズ・マイ・タウン”――フミ斎藤のプロレス読本#069【バンバン・ビガロ編エピソード4】
あの日は後楽園ホールで開催されるはずだった新日本プロレスの興行がキャンセルとなった。窓の向こうにみえるダウンンタウン・シンジュクも真っ暗だった。
テレビをつけてCNNのニュースや日本のチャンネルの報道特番をしばらく観て、それからテレビの音量をミュートにして、U2の“WAR”をずっと聴いていた。
ニューヨークでプロレスをやるようになってからは、たしかに家にいる時間が長くなった。WWEがいくらハードスケジュールといっても、10日間もロードに出れば、そのあとの2、3日はアズベリーパークに帰ってゆっくりできる。
長男のシェーンは7歳になり、つい3カ月まえに次男のコールテンが誕生した。家も新築したばかりだ。
ビガロはアズベリーパークのライヴハウス“ストーン・ポーニー”のことをしきりにしゃべった。トーキョーでいえば“ロフト”とか“屋根裏”とかそんなような感じの年季の入ったライヴ・バーだ。
あの店からはビッグなアーティストが何人も巣立っていったし、どこへも行かず、ずっと町にとどまった連中もたくさんいる。ビガロが“ストーン・ポーニー”に出入りするようになったのは16歳のときだった。
暴走族のメンバーになって、ろくにハイスクールに顔を出さなくなったビガロは、“ストーン・ポーニー”のライヴとハーレーのエンジンの音だけを聴きながら暮らしていた。頭のてっぺんにタトゥーを彫ったころは、グループの“アタマ”ということになっていた。
トーキョーもビガロにとっては旅先のホームタウンhome away from homeだ。六本木あたりだったら行きつけのバーがいくつもあるし、顔なじみだってたくさんいる。
寂しがり屋のビガロは、独りでいるのが苦手だから、ハードロックが鳴っているところにどうしても足が向いてしまう。だれも遊んでくれなかったら、ホテルに帰ってきて、またミニ・スピーカーに身をまかせるしかない。
ビガロがスポーツバックのなかから取り出したCDはピンク・フロイド、スティーブ・ミラー・バンド、ブルー・オイスター・カルトのどれも10年以上まえのアルバムだった。ビガロにとっては元気が出るチューンだ。
「7月にピンク・フロイドのコンサートがあるんだ。ヤンキー・スタジアムだぜ」
窓の向こう側で、トーキョーの景色がビガロにほほ笑みかけていた。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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