90年代パンクブームはなぜ起きたのか? 奇跡の一大ムーブメントを追う
また、Tシャツが重要視され、物販の枠を超えてアパレルを立ち上げるバンドも多かったのも特徴。「DEVILOCK」もそのひとつで、彼らが主催するライブイベントも隆盛を極めていく。限定販売のTシャツには長蛇の列ができ、音楽よりファッションが重視され始めていることを問題視する声もあったが、口コミで広がるユースカルチャーの勢いは止められない。
「バンドが全部DIYでやっているのがカッコいい」という価値観は’97年にハイスタが始めた野外フェス「AIRJAM」で決定づけられる。1年目はお台場で、翌年は豊洲で、より規模と動員を増やしていくこのフェスが、’90年代パンクシーンを象徴する存在になるのは必然で、いつしか「AIR JAM系」という言葉も生まれていた。
’99年、ハイスタがメジャーを離れ自主レーベル「ピザ・オブ・デス」を立ち上げて出したアルバム『メイキング・ザ・ロード』は、全国のキッズの興奮をかっさらいミリオンを突破。いくらCDバブルの時代とはいえ、完全自主制作でそんな記録を打ち立てたのは、後にも先にも彼らだけだ。
<知らない人はまずここから!! ’90年代アルバム3選>
●スーパー・ステューピッド 『What A Hells Going On』
ファーストにして金字塔。メロディックパンクであると同時に、変化球のミクスチャーでもあった。キングギドラとのコラボも
●コークヘッド・ヒップスターズ 『HOW FAR WILL YOU GO!?』
シーンの中でもいち早く頭角を現した4人組。スカ、ファンク、スラッシュメタルなどを絶妙のユーモアを交ぜて融合させた
●ハイ・スタンダード 『MAKING THE ROAD』
音楽史に残る不朽の名作。勢いとガッツと明るさに満ちたパンクロックの名曲がずらりと並び、全国の若者をキッズに変えた
取材・文/石井恵梨子 秋山純一郎(本誌)
― あの[’90年代パンクブーム]に舞え! ―
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