90年代パンクブームはなぜ起きたのか? 奇跡の一大ムーブメントを追う
知らない人はまったく知らない話だろう。彼らはほとんどテレビやラジオに出なかったし、巨大ホールでのライブはあえて避けていた。しかし、それでも日本中の若者たちが熱狂し、全国のCDショップではインディーズコーナーの作品が貪るように漁られていた。いつしかライブハウスに集う若者たちが“キッズ”と呼ばれ始めた時代。大きなうねりは’90年代末に入ると数万人の勢いとなり、「AIR JAM」というフェスを生み出すまでになる。それは控えめに言っても、時代が生み出した奇跡だった。
同時期に人気になった「裏原」のストリート・ブランドも同じことで、派手な宣伝や全国流通をしないことであえて希少価値を高めていく。すべては、’91年に終わったバンドブームが反面教師。テレビに出て一瞬で火がつきすぐに忘れ去られる存在にならないよう、地下のライブハウスで物語は動き始めた。モヒカンや鋲ジャンに代表されるパンクのスタイルは英国がルーツだが、当時のバンドマンたちが見ていたのはアメリカのシーンだ。その刺激を受けた日本の若者たちが動きだしたのが’90年代パンクブームの最初の起こり。シーンを最初から見続けたミュージシャン、LOW IQ 01が語る。
「やけにポップだし服装もラフでほかのカルチャーとも密接に繋がってる。スケートのビデオを見たらUSハードコアが流れてるし、ハードコアなのにレゲエをやるバンドもいる。いろんなものがクロスオーバーしてて、すごくカッコよく見えたんだよね」
同じような動きが東京でも始まり、ライブハウスは新しいもの好きな若者たちの遊び場になっていく。最初はココバットやニューキー・パイクス、ビヨンズといったバンドから始まり、コークヘッド・ヒップスターズ、ハイ・スタンダード(ハイスタ)、スーパー・ステューピッドなどが次々と始動。そこに続いた若手がブラフマン、ハスキング・ビー、バック・ドロップ・ボム、スキャフル・キングなどだ。それぞれ一概にパンクとは言えない音だが、雑食性と多様性、似ていないのに連帯感のある感じが、このシーンの面白さだった。
最初に表舞台に飛び出すのはコークヘッド・ヒップスターズ。’94年に日本クラウンからメジャーデビューし、翌年にはハイスタもトイズ・ファクトリーからデビュー。デビュー後も派手な露出はなかったが、口コミでファンが増え続け、いつしか日本中のライブハウスでチケットの争奪戦が起こるようになっていく。演者も観客も、ラフなTシャツと短パン、そしてスニーカー。大勢がぐるぐるとフロアを回るサークルモッシュ、満員の観客の上を人が転がっていくクラウドサーフというスタイルはこの頃に定着。『イカ天』時代とはまるで異なる、カジュアルでスポーティな文化が確かに芽生えたのだ。
多彩なバンドが続々登場。ファッションを巻き込みライブハウスが最先端に
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