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自衛隊が法的根拠のないままサリンを製造していた!?

法的根拠がないままサリンを製造していた

官舎

自衛官が家族とともに住む官舎(右)には、化学学校(左)が隣接している

化学学校はJR大宮駅から2kmほどの住宅地の中にあり、周囲には公園や幼稚園もある。自衛官の官舎は化学学校に隣接し、近くには公務員宿舎もある。周辺住民に化学学校の毒ガス製造について聞くと、誰も知らないようだった。グラウンドでは桑原氏が青酸カリなどを遺棄したという場所の近くで、自衛官が訓練を行っていた。
演習

薬剤が投棄されたグラウンドでは自衛官が演習していた

山里氏が陸上幕僚監部化学室長としてサリン製造を初めて公にしたのは’95年の地下鉄サリン事件がきっかけだった。「『防護』目的の毒ガス研究があったからサリン事件に対応できた」という。 日本政府はこれまで毒ガスの開発保持を否定し、サリンの所持も否定してきた。しかし山里氏には「自衛隊では’64年に初めてサリン合成に成功している」と語る。 地下鉄サリン事件を受けて’95年に化学兵器禁止法が制定され、化学学校は特定施設として年間10kgまでの毒ガス製造が認められるようになったが、それ以前から法的根拠がないまま“密かに”サリンを製造していたのだ。 ― [ニッポンの化学兵器]が危ない ―
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