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戦時中の毒ガス弾が眠る危険な土地 いまだ1000発以上が行方不明

 毒ガス弾や枯葉剤など、戦争で使われた化学兵器が今でも全国各地に埋まっているという。その現場をリポート!

現在、陸上自衛隊の訓練所に

毒ガス工場跡地は現在、陸上自衛隊の訓練所になっている。

毒ガス弾を海洋に投棄、残りは「行方不明」に!?


 北九州市小倉南区の住宅地の中に、いまだ取り壊されずに残っている毒ガス工場「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」(曽根毒ガス工場)がある。今は陸上自衛隊の都市戦闘用訓練施設として使われているらしい。塀と金網で囲まれた敷地内を覗くと、排気筒の後ろに、古びた建物がいくつも並んでいる。

真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明氏はこう解説する。

「ここはかつて、大久野島で造られた毒ガスの原液を運んできて砲弾に装填する、陸軍の化学兵器工場でした。当初は大久野島で充填までやっていましたが、日中戦争の需要増に対応するため、分業体制がとられたのです」

 ’37年に開設された同工場では数百万発もの毒ガス弾が製造され、空輸もできるように、工場の近くに滑走路(旧北九州空港)が併設された。その毒ガス弾が、終戦時に大量投棄されたというのだ。

 ’00年、旧工場のすぐ近くにある苅田港の浚渫工事で、56発の毒ガス弾が発見された。さらに新門司周辺海域などからも見つかり、最終的には3000発近い毒ガス弾が引き上げられた。しかし日本政府は「ほとんどの資料は終戦時に処分された」「当時の機密に関与していた人々の多くが故人となった」ことを理由に「追加的な情報を入手することは困難」と答弁した。

 その後、’03年に日本だけでなく中国でも日本軍が遺棄した毒ガス弾の問題がクローズアップされたことで、政府は全国調査を開始した。そして曽根工場に関しては50kgガス弾1403発と15kgあか(くしゃみ・嘔吐剤)弾の投棄場所が「不明」と発表された。その行方不明になった毒ガス弾は、どこへ行ったのだろうか?

排気塔

正面に見える2つの円筒形の建造物は、毒ガス弾製造工程で使われた排気塔。

「一部は工場の敷地内に埋めたという話を聞いたことがあります。平塚でも旧工場エリアから毒ガス瓶が出てくるまで、廃墟が残っていました。この曽根工場が廃墟のまま残されているのも、毒ガスが埋まっている可能性が高いので工事に入れないという事情があるのかもしれません」

 まだまだ今後も見つかる可能性があるのだ。

― [ニッポンの化学兵器]が危ない ―





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