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ミル・マスカラス 伝説“千の顔を持つ男”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第38話>

ミル・マスカラス 伝説“千の顔を持つ男”<第38話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第38話は「ミル・マスカラス 伝説“千の顔を持つ男”」の巻。(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 メキシコのルチャリブレからアメリカ市場に進出した最初の国際派スーパースター。メキシコ、アメリカ、日本で40年以上にわたり“伝説のレスラー”として不動のステータスを築いている。  ミル・マスカラスはスペイン語で“千の顔=マスクを持つ男”という意味で、そのリングネームのとおり、ありとあらゆる色調、模様、デザインのマスクとタイツ、きらびやかなコスチュームでリングに登場してくる。  マスカラスとしての正式デビューは1965年だが、それより1年まえにグアダラハラでエル・ディアブロ・ベラスクオEl Diablo Velasquoのコーチを受け、リカルド・デュランというリングネームで素顔のままデビューしたという説もある。  10代から柔道を学び、パン・アメリカン・ゲームス(1963年)のメキシコ代表チームにも選出されたが、東京オリンピック出場を逃してルチャドール=プロレスラーに転向したとされる。  “正体不明”が売りもののマスクマンだから、そのプロフィルにはミステリアスな部分が多い。  “ミル・マスカラス”は、もともとアクション映画とプロレスのクロス・メディア企画だった。  映画プロデューサーのエンリケ・ベルガラEnrique Vergaraという人物が“千の顔を持つ男”の役柄のイメージにピッタリだったアラン・ロドリゲスをマスクの中身に抜てきし、ミル・マスカラスというプロレスラーが誕生した。  映画の撮影と同時進行でコミック・ブックも出版され、映画『ミル・マスカラス』が公開された1966年には、すでにプロレスラーのマスカラスは子どものアイドル的存在になっていた。  プロレスラーから映画のスーパーヒーローやコミック・ブックの主人公になったマスクマンの先輩には“聖人”エル・サントEl Santo、ブルー・デモンBlue Demonらがいる。  “マスカラス”はその後、シリーズ30作品が製作され、スクリーンのなかでは実在のマスカラスがスーパーヒーロー役を演じた。  マスカラスはメキシコ国内だけでの名声にしばられることなく、近くて遠い“経済大国”アメリカへの本格的進出を図った。  ロサンゼルスではアメリカス王座をめぐるフレッド・ブラッシーとの因縁ドラマがオリンピック・オーデトリアムの名物カードとなり、アリーナに入場できなかった観客のために映画館、劇場を使ってのクローズド・サーキット上映方式が導入された(1968年)。  マスクマンとして初めてニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンに登場し(1972年12月18日)、1975年にはニューヨークに誕生した新団体IWA(エディ・アイホーン派)がマスカラスを初代世界ヘビー級王者に認定した。
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毎年、夏になると全日の『サマーアクション・シリーズ』にやって来た
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