ミル・マスカラス 伝説“千の顔を持つ男”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第38話>
かつてマスカラスは、毎年、夏になると全日本プロレスの『サマーアクション・シリーズ』にやって来た。
入場テーマ曲“スカイハイ”のメロディーに乗ってリングに登場してくると、試合まえにはファン・サービスとしてオーバーマスクを観客席に投げ込み、それをキャッチしようとしてたくさんの少年ファンが会場のなかを走りまわった。
マスカラスの日本でのベストマッチは、ジャンボ鶴田のUNヘビー級王座に挑戦したタイトルマッチだろう(1977年=昭和52年8月25日、東京・田園コロシアム)。
マスカラスがコーナー最上段から場外の鶴田に向かって放った“自殺ダイブ”が観客をビックリさせた。トペ、プランチャといったルチャリブレの専門用語はまだ定着していなかった。
マスクマンはトシをとらない。生年月日については諸説があるが、すでに70歳を過ぎていることはまちがいない。
近年は試合数をかなり減らしてはいるものの、現在でも現役としてリングに上がりつづけている。
マスクもタイツも1970年代とまったく同じビジュアルで、上半身の筋肉がそれほど衰えてない現実は驚異的ですらある。
40代後半以上のプロレスファンにとって、マスカラスのイメージは、遠い少年時代の記憶のなかの“夏休みの風景”とだぶっている――。
●PROFILE:ミル・マスカラスMil Mascaras
公式プロフィルによれば1942年7月15日、メキシコのサンルイス・パトシ出身。本名アーロン・ロドリゲス(愛称アラン)。生年月日については“1938年説”もある。得意技はフライング・クロスチョップとダイビング・ボディーアタック。基本的にはシングルプレーヤーだが、弟ドス・カラスとのタッグチームで来日することも多かった。入場テーマ曲“スカイハイ”もポピュラー。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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