タイガー・ジェット・シン “億万長者”になった大悪役――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第40話>
日本で“大悪役”に変身したシンは、シークのファイトスタイルをそっくりそのままアダプトした。それはただ単にファイトスタイルをマネするというよりは、ライフスタイルの完全コピーだった。
シークがアリーナのなかだけでなく移動中も滞在先のホテルでもレストランでもシークを演じつづけたように、シンもまた“1日24時間シフト”でシンのイメージをかたくなに守った。
新日本プロレスと全日本プロレスの“企業戦争”が激化し、アブドーラ・ザ・ブッチャーが全日本から新日本に電撃移籍すると、シンも新日本から全日本に活動の場を移した(1981年=昭和56年7月)。
日本におけるシンとブッチャーのポジションは、つねに“鏡像”の関係にあった。
日本をホームリングにするようになったシンは、トロントのリングからその姿を消した。それはホームタウンでベビーフェースとして闘うシンの写真が日本のマスコミに“暴露”されることをシン自身が危惧したためだった。
シンは地元トロントでは“日本で億万長者になった男”“日本では王室と同じくらいの知名度”として知られ、800万平方フィート(約23万坪)の敷地面積、資産評価額960万ドルとされるトロント郊外ミルトンの自宅(6000坪)がカナダのテレビ、新聞、雑誌などにたびたび紹介されている。
トロント国際空港からタクシーに乗り、ドライバーに「タイガーのパレス=宮殿まで」と告げると、あとはなにもしなくてもミルトンまで連れていってもらえるというのがシンのいちばんの自慢なのである。
●PROFILE:タイガー・ジェット・シンTiger Jeet Singh
1944年、自称“インド・パンジャブ出身”。カナダ・オンタリオ州トロント在住。本名ヤヒッド・シン・ハンス。1965年、デビュー。猪木を下しNWF世界ヘビー級王座を奪取(1975年=昭和50年3月13日、広島)。上田馬之助とのコンビでNWA北米タッグ王座、インターナショナル・タッグ王座を保持。元UWA世界ヘビー級王者(メキシコ)。1981年(昭和56年)、新日本プロレスから全日本プロレスに電撃移籍。その後、FMW、NOW、平成維震軍(新日本プロレス)、IWAジャパンなどインディー団体にも出場した。必殺技はコブラ・クロー。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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