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紀州のドン・ファンが、コンドーム販売から富豪になった商才とは

金を回して本当のリッチに近付く

 販路の拡大を考えたが、ノウハウ流失の恐れがあるため人は雇わず。たった一人で売り歩き、年収はサラリーマンの3倍になった。しかし、いずれ頭打ちになるのは必至。親しい先輩から、金主として貸金に融資するアイデアを聞き、実行することに。 <小金持ちの旦那さんたちが、信用できる仲間の金貸しに融資をして利益を受け取るというシステムです。金貸しは最初から莫大な資金を自分で用意するのではなく、こうやって金主を何人か見つけてスポンサーになってもらうやり方があることも、このとき初めて知りました> お金 複数の金貸しに出資し、リスクヘッジするのも忘れなかった。同時期に挑戦したのが株の売買。
<優良株に投資するだけのことで、一発大穴を当てて儲けようという気はさらさらありません。持ち金の大半は金主として金融業で回していましたから、株で大勝負をすることなどできないし、やる気もありませんでした>

 金を回す事業が問題なくプラスになる一方、本業が怪しくなっていく。薬屋の規制緩和による、新規参入が始まったのだ。一定範囲内に同じ業種の店舗を出すべからずというルールが撤廃され、新店が次々にオープン。サービス競争が起き、客は棚から自由に商品を手にできるようにもなった。コンドームも例外ではない。

コンドームに見切りをつけ金貸しに注力

 訪問販売にアドバンテージがなくなったと感じた野崎氏は、貸金業の免許を取得。地元に事務所を開き、小口の金融から開始した。結果、かろうじて儲けが出る程度で、回収の苦労を考えると割りが良くない。’80年代には大手消費者金融が広告を出すようになり、新規の客も減少の一途。バックがいないと関西で金融をやるのは難しいと、ある議員からアドバイスされ、東京で勝負しようと考える。
<東京進出にあたり、所有していた不動産を担保に、地元の公的金融機関から5000万近い金を借りています。物見遊山ではなく人生の大勝負、これまでの私の人生で最大の賭けでした>

 ターゲットを丸の内周辺の公務員や一流企業社員に絞り、チラシ入りティッシュを見栄えの良い女子大生たちに配らせた。ティッシュに書かれたコピー「担保・保証人不要。即日貸付可」は、貸金業界お約束の単なる客寄せ定型文であり、実際とは異なる場合が多い。しかし、氏にとっては誇大宣伝ではなかった。
<正確に言えば担保はあるのです。それは職場そのものでした。国が潰れたり、転覆したとしても公務員は残ります。また、丸の内界隈に本社がある一流企業も、まず倒産することはありません>

 返済が遅れれば職場に電話がいく。それを避けるため、エリートたちはスムーズに返してくれるというわけ。時は既にバブル崩壊直前の’90年代。浮かれた大企業の重役や省庁職員がこぞって遊ぶ金を借りに来た。十分に満足できる利益が生まれ、不動産業や酒類販売業、梅干し販売も展開。いずれも成功し、株取引では億単位の運用が当たり前になっていた。そして、資産50億円と言われる“紀州のドン・ファン”が出来上がったのだ。

デヴィ夫人いわく「温厚な人」

 その後、交際していた女性に約6000万円相当の金品を盗まれ、ワイドショーや週刊誌で連日報じられ、有名人となった野崎氏。芸能界ともつながりがあり、デヴィ夫人の誕生パーティーにも招かれていた。今回の事件後にデヴィ夫人はインタビューにて「温厚な人。女性と遊ぶことが何よりも好きだった」と答えている。  著書には、これまでの女性遍歴が隠すことなく記されており、子どもこそいなかったが、今年2月の3回目の結婚まで、独身を謳歌してきたそうだ。  わずか3か月半の結婚生活だったが、55歳年下で22歳のモデルSさんを射止めた野崎氏。さぞ自分に自信があったのかといえば、そうではない。  野崎氏は、背が低く、目立って良い顔をしているわけでもないと、常に自分を卑下していたのだ。だからこそ、カネでしか女性を惹きつけられないと思い込み、ひたすらに働くことができたのだろう。欲望を抱えて悶々とするぐらいなら、叶えるために苦労した方が良い……。何かと諦めがちな我々は、彼から学ぶことも多いかもしれない。<文/金井幸男>編集プロダクション勤務を経て、2002年にフリーランスとして独立。GETON!(学習研究社)、ストリートJACK(KK ベストセラーズ)、スマート(宝島社)、411、GOOUT、THE DAY(すべて三栄書房)など、ファッション誌を中心に活動する。また、紙媒体だけでなくOCEANSウェブやDiyer(s)をはじめとするWEBマガジンも担当。その他、ペットや美容、グルメ、スポーツ、カルチャーといった多ジャンルに携わり、メディア問わず寄稿している。
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