24時間テレビ「チャリティーマラソン伝説」唯一の棄権、初の放送延長は誰だった?
恒例の日本テレビ系『24時間テレビ41 愛は地球を救う』が、今年も8月25日、26日で行われる。
24時間テレビと言えばチャリティーマラソン。1992年の第15回から恒例になったこの企画で、今回チャリティーランナーを務めるのが、ご存じ、お笑いコンビ・ANZEN漫才のみやぞんだ。
今回の目玉は、番組史上初のトライアスロンで行われること。25日の正午のスイム(1.55km)からスタートし、バイク(60km)、そしてマラソン(100km)と、合計161.55kmに挑む。
チャリティーマラソンが初めて実施された第15回の記念すべきランナーは間寛平。新潟県の苗場から東京の日本武道館を目指したが、今と違って当時は、事前に出発地や武道館までの経路を公開していたため、沿道に人が殺到。交通の妨げになるとしてあえなく途中棄権となってしまった。間寛平は、チャリティーマラソン史上唯一の途中棄権となっている。
そのため翌年以降は出発地やマラソン経路は非公開となった。
チャリティーマラソン企画は、放送時間ギリギリでのゴールが見せ場となっているのは、ご存じのとおり。今では仮に24時間テレビの放送時間内にゴールできなくても、後番組の『行列のできる法律相談所』が生放送で組まれているため、そちらで対応できるが、こうした編成が組まれるようになったのは、『行列のできる法律相談所』にレギュラー出演していた丸山和也がランナーを務めた2005年からだ。
そんなチャリティーマラソンで、初めて放送時間内にゴールできなかったのが第19回の赤井英和だ。
赤井英和の場合、「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」と題した一般参加者600人によるたすきリレーの一貫として行われ、日本列島の北と南からマラソンのたすきがつながれ、最後のランナーとして100kmマラソンに挑戦するというものだった。
しかし一般参加者の到着が遅れ、出発時間が予定よりもかなりずれこんでしまったため、放送時間内にゴールできなかった。そこで日本テレビは放送時間を延長。その間に赤井英和はゴールしたが、後番組だった『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、そのぶん繰り下げ放送されず、放送途中から流れる事態になったことは、元気が出るテレビファンなら記憶にある出来事だろう。
この24時間テレビのチャリティーマラソンは、今回のみやぞんまで含めると、のべ28回行われているが、なかでも印象的だったのは、この人たちだろう。2018年8月25日(土)、26日(日)放送の「24時間テレビ41」のチャリティーランナーにみやぞんさんが決定しました!#24時間テレビ#みやぞん#チャリティーランナー pic.twitter.com/Qdhgeqcr3l
— 24時間テレビ41 (@24hourTV) 2018年6月3日
24時間チャリティーマラソン史上唯一の途中棄権は間寛平
ちなみに間寛平と言えば通算三度、チャリティーマラソンランナーとして登場しているが、なかでも伝説となっているのが、第18回で神戸-東京間の600kmを1週間かけて走破したこと。これは、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で自宅を失った間寛平が、「被災者のみんなに勇気を与えたかった」として行われた。この600km走破は、ほかのチャリティーマラソンと一線を画す伝説となっている。たくさんの方に見届けていただき、無事に #KANPEIみちのくマラソン ゴールいたしました!
— KANPEIみちのくマラソン2018 (@kanpei_michinok) 2018年8月21日
車だとさっと通り過ぎてしまうところも走ってまわると見えてくるものがたくさんあります。
去年と変わったところ、まだまだ変わっていないところ。
みちのくはまだまだ変わります!
ありがとうございました! pic.twitter.com/KlTEeJQsI9
24時間テレビ史上初めて放送時間内にゴールできなかったのは誰?
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