更新日:2018年08月25日 18:05
エンタメ

24時間テレビ「チャリティーマラソン伝説」唯一の棄権、初の放送延長は誰だった?

マラソン 恒例の日本テレビ系『24時間テレビ41 愛は地球を救う』が、今年も8月25日、26日で行われる。  24時間テレビと言えばチャリティーマラソン。1992年の第15回から恒例になったこの企画で、今回チャリティーランナーを務めるのが、ご存じ、お笑いコンビ・ANZEN漫才のみやぞんだ。  今回の目玉は、番組史上初のトライアスロンで行われること。25日の正午のスイム(1.55km)からスタートし、バイク(60km)、そしてマラソン(100km)と、合計161.55kmに挑む。  この24時間テレビのチャリティーマラソンは、今回のみやぞんまで含めると、のべ28回行われているが、なかでも印象的だったのは、この人たちだろう。

24時間テレビ「チャリティーマラソン」歴代ランナー

24時間チャリティーマラソン史上唯一の途中棄権は間寛平

 チャリティーマラソンが初めて実施された第15回の記念すべきランナーは間寛平。新潟県の苗場から東京の日本武道館を目指したが、今と違って当時は、事前に出発地や武道館までの経路を公開していたため、沿道に人が殺到。交通の妨げになるとしてあえなく途中棄権となってしまった。間寛平は、チャリティーマラソン史上唯一の途中棄権となっている。  そのため翌年以降は出発地やマラソン経路は非公開となった。  ちなみに間寛平と言えば通算三度、チャリティーマラソンランナーとして登場しているが、なかでも伝説となっているのが、第18回で神戸-東京間の600kmを1週間かけて走破したこと。これは、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で自宅を失った間寛平が、「被災者のみんなに勇気を与えたかった」として行われた。この600km走破は、ほかのチャリティーマラソンと一線を画す伝説となっている。

24時間テレビ史上初めて放送時間内にゴールできなかったのは誰?

 チャリティーマラソン企画は、放送時間ギリギリでのゴールが見せ場となっているのは、ご存じのとおり。今では仮に24時間テレビの放送時間内にゴールできなくても、後番組の『行列のできる法律相談所』が生放送で組まれているため、そちらで対応できるが、こうした編成が組まれるようになったのは、『行列のできる法律相談所』にレギュラー出演していた丸山和也がランナーを務めた2005年からだ。  そんなチャリティーマラソンで、初めて放送時間内にゴールできなかったのが第19回の赤井英和だ。

赤井英和

 赤井英和の場合、「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」と題した一般参加者600人によるたすきリレーの一貫として行われ、日本列島の北と南からマラソンのたすきがつながれ、最後のランナーとして100kmマラソンに挑戦するというものだった。  しかし一般参加者の到着が遅れ、出発時間が予定よりもかなりずれこんでしまったため、放送時間内にゴールできなかった。そこで日本テレビは放送時間を延長。その間に赤井英和はゴールしたが、後番組だった『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、そのぶん繰り下げ放送されず、放送途中から流れる事態になったことは、元気が出るテレビファンなら記憶にある出来事だろう。
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山田花子、イモトアヤコの伝説のゴール
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