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アントニオ猪木参院議員「今こそ俺の北朝鮮ルートを利用すべきだ!」

アントニオ猪木参院議員

アントニオ猪木氏は、9月8日に李洙墉朝鮮労働党副委員長と会談。意見交換を行った。李副委員長は’17年4月に復活した最高人民会議外交委員会の委員長などを歴任し、’18年6月に開催された米朝首脳会談にも同行を許された金委員長の側近で、北朝鮮外交の「統括役」と言われる人物だ

日朝首脳会談開催の“最大のキーマン”

 9月19日、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領による3度目のトップ会談が行われ、金委員長が年内にソウル訪問を予定していることが発表された。実現すれば、南北分断後「初」。事実上の「朝鮮戦争終結宣言」とも取れる歴史的な合意と言えよう。南北首脳会談を巡っては、北朝鮮の「完全な非核化」が遅々として進まないなか、文大統領がいかに具体的な措置を引き出せるかが焦点となっていたが、今回、北朝鮮は東倉里(トンチャンリ)にある西海(ソヘ)衛星発射場の永久廃棄と、関係国の専門家による参観受け入れを約束。さらに、米国が「相応の措置」を取れば、寧辺(ヨンビョン)にある濃縮ウラン生産施設を追加廃棄する用意があることも表明した。  これに先立つ10日には、米国・ホワイトハウスのサンダース報道官が、金委員長から米国のトランプ大統領宛てに、2度目の米朝首脳会談開催を要請する親書が送られてきたことを明らかにしており、こちらも「年内」での開催が有力視されている。 「最後は私自身が金委員長に向き合わなければならない――」  今回、自民党の総裁選で3期連続選出された安倍晋三首相は、日朝首脳会談実現へ向けてこう一貫して語ってきたものの、いまだその目途は立たず。北朝鮮問題が目まぐるしく変化するなか、日本だけが蚊帳の外に追いやられている状況が今も続いている。  なぜ、これほどまで日本は何もできないのか……?  今回、南北首脳会談直前に開催された北朝鮮の建国70周年記念式典に招待され、北朝鮮外交の「統括役」といわれる李洙墉(リスヨン)朝鮮労働党副委員長とも会談したアントニオ猪木参院議員に話を聞いた。 ――今回の訪朝で何回目になるのか。 猪木:最初の訪朝が参院議員1期目だった’94年で、北朝鮮の「建国の父」、金日成(キムイルソン)国家主席が急逝して、最高指導者が金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党中央委員会総書記に代替わりした年ですね。そこから数えて今回で33回目。最初に訪れたときは“空気”が読めなくて……。党の高官といわれる人たちと会っても難しい話ばかり。 もちろん、最初はちゃんと静かに話を聞くわけですけど、何せ私がざっくばらんな性格なものですから。「俺のやり方でやるぞーッ!」と、’95年に平壌(ピョンヤン)市民19万人を動員したプロレスイベント「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催したり、じっくり膝を詰めて相手と話をしていくうちに、いつの間にか肩を組んで笑いながら語り合えるような深い絆が培われていったのです。 ――今回の訪朝では、北朝鮮の外交トップ、李副委員長と会談したと報じられている。 猪木:私が今回、車椅子で来たことに感動したようで、100%以上心を開いて話をしてくれました。今後、日本が発動している北朝鮮への制裁をどうするのか?という点が重要になってくると思います。日本は国連で決めた制裁の枠組みを超えて、フィジーなどの小国にまで北への制裁を強化するよう求めており、この姿勢に北は不信感を抱いている。 ただ、2020年の東京五輪に参加する意向もあり、腹のなかでは日本との対話ムードを醸成させたいと考えているはず。現在、日本から北朝鮮へは申請さえすれば入国できるが、制裁対象の北からは日本に入国できない……。 平昌(ピョンチャン)五輪では、韓国で演奏する北朝鮮芸術団を乗せた万景峰号(マンギョンボンゴウ)が、例外的な措置で韓国の港に寄港できたように、人道的に見ても、北朝鮮のスポーツ選手を日本に入れたからといって怒る日本人はそれほど多くないのではないか。一度振り上げた拳を下ろすのは難しいが、これをスポーツ交流によってどうこじ開けていくかが今後の課題となる。
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