“兼業”紅白歌手・木山裕策――50歳でも変化を恐れない「転職人生」
2007年に日本テレビ系のオーディション番組「歌スタ!!」に出演し、翌2008年に「home」で39歳にして歌手デビュー。同年の「第59回NHK紅白歌合戦」にも出演し一世を風靡した木山裕策。世間では“一発屋”というイメージをもたれることもある彼だが、デビュー以来10年間、歌手&会社員という“二足の草鞋”を履いて歩いた道のりは、思いのほか堅実であった。今年10月に50歳を迎えた彼に、今の時代だからこそ中年世代に必要な「働き方」「人生の楽しみ方」のコツを伝授してもらう。
――まずは50歳おめでとうございます。
木山:ありがとうございます。僕すっごい『SPA!』買ってますよ! 通勤時に電車で読むのですが、記事のタイトルがいいですよね。
――ありがとうございます。早速ですが、50歳を迎えた木山さんのこれまでを振り返って、まず歌手になろうと思ったきっかけは何だったのでしょう?
木山:直接のきっかけは2004年に会社の人間ドッグでがんが見つかったことです。それまでも歌うことは大好きでしたが、歌手になろうなんてまったく思っていなかった。けれど、甲状腺がんの手術で「声が出なくなるかもしれない」と言われたんです。その誓約書を手術の前夜に書くことになり、「もし生き残れたとしても声を失ってしまったら、今後の人生をどうやって生きればいいんだろう?」と真剣に悩みました。同時に、当時は働くことに精一杯だったので、「今、死んだら子供たちは父親の存在を覚えててくれるのかな?」と恐ろしくもなりました。結果、手術は成功したのですが、そこで性格が変わったと思います。
――どんな部分が変わったのでしょう?
木山:それまではとても引っ込み事案で、人前で歌うことが恥ずかしかったのですが、子供のピアノの発表会で「一曲、歌わせて」とリクエストしたり、歌うことに積極的になりました。その延長で深夜のオーディション番組に応募し、がんが発覚してから3年後のデビューにつながっていきました。
――「home」で歌手デビューをされて、紅白にも出場。収入面も含めて人生は変わりましたか?
木山:それが、正直ほとんど変わらなくて(笑)。平日は会社員を続けており、土日に歌の仕事をする、いわゆるダブルワークが始まったくらい。収入面も、デビュー数年は「home」のヒットが多少は大きかったんですけど、ベースは会社員なので年収が2倍になったりとかドラマチックな変動はありませんでした。
――家庭環境にも大きな変化はありませんでしたか?
木山:ちょうどデビューした年に長男が中学に入って、友人にからかわれたりすることはあったようです。反抗期というところもあって、親子関係がぎくしゃくした時期が2年ぐらいありましたね。そんなことをテレビ番組で話したら、ネットの記事で「家庭崩壊!」みたいに書かれちゃって(笑)。仕事で取引先の方から「木山さん、家庭大丈夫ですか?」「お子さんグレてませんか?」と聞かれることも増えました。ネットって恐ろしいですね(笑)。今では笑い話で、長男とはお酒を飲みながら音楽の話とか映画の話とかしています。
歌手を目指したきっかけは「手術の誓約書」
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