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“兼業”紅白歌手・木山裕策――50歳でも変化を恐れない「転職人生」

変化を恐れない「転職人生」

木山裕策さん(ライブ)――デビュー後の10年間は、どのような兼業生活を送っていたのですか? 木山:歌の方はデビューからずっとエイベックス・マネジメントさんにお世話になっているのですが、会社員の方はデビューしてから3回転職しています。デビュー前から考えると、今の会社が6社目ですね。もともと映画好きで、脚本家になりたくて東京に出てきたので、正社員になったのも28歳の時でした。そこから転職を繰り返して、40代に入ってからは、環境に合わせて会社を変えています。 ――会社員として「環境に合わせる」というのは、どういった部分ですか? 木山:僕はもともと広告のデザイナーから入ったんです。ホームページを作ったり、制作畑の出身なんですね。ただ、40代にもなると若い頃みたいに3日連続徹夜とかできない。だから、制作にこだわらず、ちょっとでも成長できるなら何でもやってみようというスタンスです。今の会社では議事録も録るし、慣れていない予算管理の仕事もしています。そうやって自分の枠を広げていく作業が、自然と転職という形に結びつくのだと思います。  ただ、やっぱり新卒で一流企業に入って勤め上げている大学の同期に比べると、生活は厳しいですよ。子供を4人育てているので、貯金なんてほとんどないです。お金の面だけで言うと、結婚してから二十数年、余裕があった時期なんてない。毎日ドキドキしています。毎月頑張って働いていますが、日本は本当に子供を育てるという面では大変な国で、教育費がすごくかかる。でも、それが嫌ではなくて、楽しんで子供に貢いでいます(笑)。  今では子供も大きくなって、バイト帰りにお酒を買ってきて「父さん、ちょっと飲もうか」みたいな夜もあり。金銭的にはきついですが、「あー、幸せだな」って思う瞬間がどんどん増えているように感じています。

「家族」という三足目の草鞋

――そんな木山さんも50代になりますが、今、もっとも大切にしていることは何ですか? 木山:なんといっても僕は家族が中心なんです。すべての中心がそこにあって、家族が辛い状況になったら、会社での働き方も歌手活動も変わってくると思います。家族が腹を空かして泣いているようなときに僕が歌を歌えるかって言ったら、これはもう歌えない。家族という軸を中心に、会社、歌手の3つのバランスを常に意識して、ここ10年を生きています。 ――そのバランスをとるコツはなんでしょうか? 木山:そんな偉そうには言えないんですけど、僕は「自分を変えない」という考えは持っていなくて、なんでも状況に応じて変えられるところは変わっていこうと思っています。そうやって変わっていく自分が嫌いじゃないんですよ。会社でも歌手活動でも「ちょっとやってみませんか?」って言われたときに、自分の枠にこだわらずにやってみた方が、人生を楽しめるんじゃないかなって思っています。脚本家を目指していた20代の頃は、「脚本家になる以外の人生は考えられない」とか言って自分に枠を作っていましたけど(笑)。 ――その考えが変わったきっかけは? 木山:一番大きいのは結婚して子供ができたこと。がんになった時も変わりましたが、人生が一番大きく変わったのはそこですね。子供って思い通りにならないじゃないですか。お金もかかるし、夜泣きもするし。それに翻弄されつつも、幸せを感じるようになったのが理屈でなく一番大きな変化でした。それ以降、自分が変わっていくことが嫌じゃなくなった。子供のおかげで今の自分があるのだと思います。
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50代こそ、素直に生きるべし
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