ゲームコラムニスト・卯月鮎の絶対夢中★ゲーム&アプリ週報
卯月鮎
前回のコラムでは、平成元年から平成7年までのゲームシーンを振り返りましたが、今回は平成8年から平成14年まで。次世代機戦争に決着がつき、ソニーvs任天堂の構図が確立されていった時期です。
平成8年はアトランタ五輪が開催された年。マラソン銅メダルの有森裕子選手が「初めて自分で自分をほめたいと思います」と語り、流行語になりました。国内では棋士の羽生善治さんが史上初の七冠を独占。この年の年末商戦にバンダイから発売された「たまごっち」が社会現象となりました。
ゲーム界では6月に任天堂が家庭用ゲーム機「NINTENDO64」を発売。ロムカセットにこだわりながら、他社の“次世代機”を上回る高スペックで勝負をかけます。また、『ポケットモンスター 赤・緑』が口コミで広まりゲームボーイ人気が復活! PS1の初代『バイオハザード』もジワジワ売れ続け、サバイバルホラーというジャンルを確立しました。
NINTENDO64
そのほかの注目のヒットゲーム
・パラッパラッパー(プレイステーション)
・サクラ大戦(セガサターン)
・マリオカート64(NINTENDO64)
・ミニテトリン(キーホルダー電子ゲーム)
平成9年(1997年)
平成9年は、神戸連続児童殺傷事件が発生した年。山一證券を筆頭に金融機関の破綻も相次ぎました。11月にはサッカー日本代表が悲願のW杯初出場を決定(ジョホールバルの歓喜)。小説は『失楽園』がベストセラーに。
PSへの移籍が話題となった『ファイナルファンタジーⅦ』が1月に発売され、エアリス騒動もありつつ、爆発的なセールスを記録。PSが次世代機戦争の覇者となり、この後、任天堂との争いが続いていきます。アーケードでは『beatmania』が稼働を開始。音楽ゲームブームに先鞭を付けました。業界的な話題としては、セガとバンダイの合併話が一時持ち上がるも、結局は破談となっています。
『ファイナルファンタジーⅦ』(ファイナルファンタジーポータルサイトより)
そのほかの注目のヒットゲーム
・テイルズ オブ デスティニー(プレイステーション)
・I.Q(プレイステーション)
・スターフォックス64(NINTENDO64)
平成10年(1998年)
平成10年は冬季長野五輪が開催された年。スキージャンプの原田雅彦選手の「船木ぃ~」が今でも耳に残っています。アップルの「iMAC」が発売され、スケルトン仕様が流行り出したのもこの年。また、CD生産枚数が史上最高を記録。椎名林檎さん、浜崎あゆみさん、宇多田ヒカルさんがデビューしました。
平成10年は、セガが「ドリームキャスト」を発売。CMの「湯川専務」が体を張って起死回生を狙ったものの……。ドリームキャストはモデム標準搭載で、オンラインプレイ時代を見据えた先進的なハードでした。PSでは、小島秀夫監督の『メタルギア ソリッド』が国内外でスマッシュヒット。NINTENDO64では、シリーズ初の3D作品『ゼルダの伝説 時のオカリナ』がリリース。ポリゴンを使用したゲームが洗練されてきた時期でした。
ドリームキャスト
そのほかの注目のヒットゲーム
・バイオハザード2(プレイステーション)
・ゼノギアス(プレイステーション)
・ピカチュウげんきでちゅう(NINTENDO64)
平成11年(1999年)
1999年(平成11年)は恐怖の大王が降ってこなかった年。社会人にとっては、コンピュータが誤作動すると言われていた2000年問題のほうが深刻でした。ソニーが犬型ロボット「AIBO」を発売。また、「動物占い」や「だんご3兄弟」もブームになりました。
ゲームボーイの生みの親・横井軍平氏が開発に参加した携帯ゲーム機「ワンダースワン」がバンダイから発売。一方、任天堂はNINTENDO64向けの周辺機器「64DD」をリリース。ファミコンに対するディスクシステムのような存在でしたが、普及には至らず……。ソフトに目を向けると初代『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』が口コミでロングセラーに。PSでは学園ものの『ファイナルファンタジーⅧ』が話題となりました。その頃、ドリームキャストでは『シーマン』が毒づいていました。
ワンダースワン
そのほかの注目のヒットゲーム
・スペースチャンネル5(ドリームキャスト)
・俺の屍を越えてゆけ(プレイステーション)
・Kanon(PC)