日本カーリング史上初のメダリスト・本橋麻里がユニフォームを脱いだ理由
――でも、失礼ですが、本橋さんはちょっと嬉しそうにも見えます。
本橋:立場上、少し難しい表現になってしまうのですが、正直に言うと、ロコのメンバーも中部電力の選手も、かわいく頼もしい後輩であることは変わらないですし、国内に強いライバルがいるのはとてもポジティブな環境だとは思っています。だから、今は「楽しくなってきたぞ」という期待感と「ヤバいかもしれないぞ」という緊張感が半々くらいですね。
――本橋さんにとって平昌は3度目の五輪でしたが、トリノとバンクーバーのあとの反響に何か違いは?
本橋:「カーリングは前から好きだったんですけど、オリンピックでもう一回、見られて楽しかった」と言ってくれる方は増えましたが、そこまで大きくは変わらないかもしれません。まだ「4年に一度、来るやつ」の範囲内かなと。ただ、平昌の五輪に違いがあるとすれば、ストーリー性はあったのかなと思います。
――ストーリー性?
本橋:人口12万人の北見市、常呂町に限っては3700人の町です。その小さな地方都市から出てきた選手は、決して誰かを感動させたくてカーリングをしているわけではないんですけれど、目の前の1勝に向かってそれぞれが懸命にプレーしているうちに、みんなが応援してくれるようになった。日本人はチームスポーツが好きですし、話題になりやすかったのかなと思います。
――五輪後、北見市や常呂町にも観光客が増えたと聞いています。のんびりとしたいい町ですね。
本橋:ありがとうございます。大都市からいらした方、特に東京で消耗している方ほどそのセリフをよくおっしゃいます(笑)。
※3/12発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです
【本橋麻里】
’86年、北海道北見市生まれ。12歳で本格的にカーリングを始め、チーム青森のメンバーとして’06年トリノ、’10年バンクーバーの両五輪に出場を果たす。バンクーバー五輪後にロコ・ソラーレを立ち上げ、’18年の平昌五輪では日本チームとして初となる銅メダルを獲得。初の著書『0から1をつくる』(講談社現代新書)
取材・文/竹田聡一郎 撮影/藤井洋平
まだ誰もやっていない挑戦は常に正念場
1
2
『週刊SPA!3/19・26合併号(3/12発売)』 表紙の人/ 土屋太鳳 電子雑誌版も発売中! 詳細・購入はこちらから ※バックナンバーもいつでも買って、すぐ読める! |
『『0から1をつくる』』 本橋の半生を記したほか、チームビルディングやコミュニケーション方法まで言及したビジネス本 |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ