19歳で大腸を全摘出。偏差値30から外科医になった医師・石井洋介氏の壮絶なる半生
高校生の頃に潰瘍性大腸炎を発症し、19歳で大腸を全摘出、人工肛門に。当時出会った医師に憧れ医学部受験を志すも、彼の偏差値は30だった――。そんな数奇な運命をたどった現役医師の自叙伝が話題だ。
彼の名は石井洋介。現在は消化器外科医となり、「うんコレ」なる前代未聞のスマホゲームを開発したことでも知られている。彼が「うんコレ」に込めた切なる思いとはいったい……? 誰よりも病気の苦しみを理解する、若き医師の波乱に満ちた人生に迫る。
――著書『19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと』でも述べられていますが、まるで漫画の主人公のような半生ですね。
石井:「全部フィクションなんでしょ」とよく言われますが、本当です(笑)。高校入学直後に潰瘍性大腸炎が判明して入院しました。
――まさか自分がそんな難病にかかっているとは思わなかったのでは?
石井:中学生の頃からたまに血便が出ていたのですが、なんの知識もなかったため、「痔なのかな」と放置していました。退院後は学校の友達と話が合わなくなって、池袋で遊んで過ごしていました。「今日が楽しければいいや」という刹那的な生活でしたね。高校は卒業できたものの、まったく勉強をしていなかったのでそのままフリーターになりました。
――そして、卒業後に病状が悪化してしまった。
石井:体調も悪化して検査と治療のために入院をしていました。完全絶食の点滴治療、体重は32kgまで落ちました。そして大量の下血をして、激しい腹痛に見舞われたんです。目の前が真っ暗になって、意識が戻ると「大腸を全摘出して、人工肛門の手術をする」と医師から告げられました。助かるためには、それ以外の選択の余地はない状況でした。
――その際どんなことを感じましたか? さぞやショックだったのでは。
石井:ショックよりも、死を前にしたこのとき初めて「生きていたい! せめて何か人の役に立ってから死にたい」と思ったんです。この体験が今の医師という職業に結びついています。ただ現実には仕事もなければ、彼女もいない、そして大腸もない。自己肯定感は地の底まで落ちました。もちろん人工肛門をつけたまま外出もできるし、温泉にも入れます。でも「もし漏れたらどうしよう」「周囲に臭ってないか」と気になって人と会うのも億劫になってしまいました。社会的引きこもりですね。
19歳で大腸を全摘出。偏差値30から外科医になった男の珍発明
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