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平成最初のドラフト1位・与田新監督が平成最後に古巣ドラゴンズの再建を誓う

ケガで戦線離脱した松坂にかけた言葉とは?

 こう語る与田監督ではあったが、松坂は春季キャンプ中の予想外のアクシデントで開幕一軍には間に合わなくなってしまった。

一部情報では、すでにブルペン投球を開始したという「平成の怪物」松坂

「誤算? いえいえ。これは強がりではなく、誤算でもなんでもない。常に選手のケガは想定しているので。どの選手に何が起きてもいいように備えはしています。特に大輔の場合は、これだけのケガ、手術を経てきた選手なので、むしろケガの可能性は高い選手のひとりと昨年の秋から思っていました」  新人監督は、まさかのケガを負った松坂にどんな声をかけたのか。 「私も現役時代、肩や肘を故障した経験があります。そうなると、日々自分にできることをやっていくしかない。一番ケアしてあげたいのはメンタルです。周りがどんどん(開幕に向けて)進んでいく中で、ケガ人はひとり、取り残されていくような気分になりがちです。だからできるだけ、精神的なケアはしてあげたい」  就任直後、新監督はのっけから大仕事をやり遂げた。4球団の競合指名となった根尾昂(大阪桐蔭)の抽選クジを引き当てたのだ。 「(根尾を引き当てた日に)予感めいたものはありませんでした。現役時代から、私はゲンを担ぐことは一切してきませんでした。プロの世界、ゲンを担いでも望み通りにいくことは少ない。二次的な要素でそんな簡単に(結果が)変わるわけないですからね」  指名直後、当時53歳の新人監督は、まだ18歳の根尾と対面した。

二軍の公式戦では打率1割台と「プロの壁」にぶつかる根尾

「初めて会ったときの印象? しっかりした口調、しっかりした目で話をする青年でしたね。もちろん根尾に力があれば、一軍に上がってくるでしょうし、力がなければ二軍にいなければならない。そこはシンプルに考えています。使えるのに二軍で育てるような考えは、私にはありません」  春のキャンプにはドラフト同期で、日米通算201勝の大エース、野茂英雄氏が訪問した。 「監督就任が決まって、お互いに連絡を取り合う中で『沖縄、行きますよー』『えっ! ホント? じゃあ来てくれる?』みたいな感じで。今季の中日には阿波野、赤堀、村上と近鉄OBのコーチが3人もいるからでしょう」  昨今のプロ野球には欠ける豪傑な黄金時代を知るオールドファンは、猛牛の血が昇竜に注入されることを期待するが、オープン戦は7勝9敗3分けと負け越した。しかし、与田に迷いはない。 「大事なのは143試合の本番。投手も野手も、できないことや不安は探せばいくらでも出てくる。できることに目を向けて、やる以上は優勝、リーグ制覇。この宝を全員で獲りにいきます!」 【与田 剛監督(中日)】 ’65年生まれ。亜大からNTT東京を経て、’89年ドラフト1位で中日へ入団。’90年、新人王、最優秀救援投手賞を獲得。’00年に引退。’09年、’12年、日本代表投手コーチ、’15年、楽天投手コーチ、’19年、中日の監督に就任 <取材・文/小島克典> ― プロ野球開幕スペシャル ―
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