萩原健一さん最後の名著の編集者「深夜に2時間怒られました」
3月26日、消化管間質腫瘍のために他界したショーケンこと萩原健一さん(享年68)。
たぶんこんな取材インタビューは何十年もさんざんうけてきたのだろうな。
目黒のどこも派手でない静謐なマンションに事務所はあった。
あの人はすでに待っていて、私たち三人が名刺を出して名乗り、挨拶をしていくと、一人ひとりにあまりにも丁寧に
「萩原です」
「萩原健一です。はじめまして。お願いいたします」
「萩原です。よろしくお願いいたします」
と頭をさげ、それから背筋を伸ばして、こちらの目を見つめた。
仕立ての良いグレーのスーツに地味な青色のネクタイ。
「どうぞ。煙草は自由にお吸いになってください。いま、紅茶を淹れます」
インタビュアーは優れた文芸評論家のスガ秀美さん。あの人と同世代であり、どこに話が流れてもきっちりとフォローしてくださる方だった。
スガさんはおもむろに、亡くなった中上健次との共通点を挙げることから話をはじめた。ずいぶん剛力だな、とおもったが、あの人は
「生前の面識はありませんでしたが、奥さんから映画監督をやってくれとたのまれたことがありました」
とスガさんの目を覗きこんだ。
二〇一〇年一〇月に『日本映画[監督・俳優論]』という書名で後にまとめさせていただいたお二人の問答は、五回に分け、各二時間、三時間ずつで続けられた。結果、あの人の心のやわらかさを実感することができた。いい経験だった。
僕はそれまでのテレビ、映画とまったく異次元の演技をみせるこの人の大きすぎる実績でなく、できることなら偏っていてもいいので、不世出の俳優として長く商業作品で一線にでつづけてきたその心の機微にふれることができれば、とかんがえた。それはきっと、映画を見る人、演奏をする人のなにかの役にたつのではないか。
もちろんロック・ヴォーカリストとしてのすばらしい仕事もよく知っていた。とくにライブアルバム「DONJUAN LIVE(ドンジャン・ライブ)」のラスト曲「ローリング・オン・ザ・ロード」でボブ・マーレー、ローリング・ストーンズ…と愛するミュージシャンの名を絶叫する声にシビレた。(さいきん、ある音楽評論家の方から、ショーケンのヴォーカルは78年初来日したディランからきている、とのサジェスチョンをいただいた。ナルホド)。
いずれにせよ、明らかにそれまでの日本の俳優とは別次元の演技をなしえたこの人の知の部分を聞き出せれば、と思っていた。
最後の著書『日本映画[監督・俳優]論』(2010、ワニブックスPLUS新書)は、萩原さんが仕事をしてきた名監督・名優たちについて、文芸評論家のスガ(*漢字で糸扁に圭)秀美さんに語り下ろしたものだ。
以下は、同書の担当編集者だった壹岐真也さんの寄稿である。
萩原健一さんは一貫して紳士的だった
十数時間のロングインタビュー
1
2
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ