<坪内祐三氏追悼エッセイ>ラスト・ワルツは私に――壹岐真也
2020年1月13日に急性心不全で評論家の坪内祐三氏が逝去した。
坪内氏は『週刊SPA!』で2002年から2018年までの16年間、福田和也氏との対談『文壇アウトローズの世相放談 これでいいのだ!』を連載。福田氏、リリー・フランキー氏、重松清氏、柳美里氏と共に、文芸雑誌『en-taxi』(2003年~2015年)の編集同人も務めた。
『これでいいのだ!』の連載を立ち上げ、『en-taxi』の創刊編集長でもあった壹岐真也氏に、坪内祐三氏との思い出を振り返ってもらった。
今日、はじめて大阪名物の紅ショウガ天ポテトチップスというのを食べた。
おもったより薄味の、何枚かかじっているうちにふんわり和んでくる味わいだった。さすが、関西風だ。
「こりゃツボさんにおしえてあげたかったな」
とおもわずつぶやくと、知人からすぐリプライがきた。
「それ、新大阪、名古屋だったかな? 駅ホームのキオスクで普通に売ってた。食べたことあるんじゃないかな?」
そっか。大阪については足繁くかよって本まで書かれている人だ。それになんにでも通じてる人だったから、こんなもの、とっくにご存じだったか。とっくに書いていたかもしれないな。ほんとうに、変なことにまでよく通じている人だった。
2003年春に創刊され、13年間発行、2015年秋に終刊した扶桑社の文芸雑誌『en-taxi』は、創刊号の扉を「作家の遺影を撮る」というリリー・フランキーさん撮影の1Pグラビアではじめ、巻末を「The Last Waltz」という亡くなった方への哀悼コラムで締めるという体裁で始まった。
「The Last Waltz」は、もちろん、ザ・バンドの解散コンサートを追った映画タイトルからひっぱってきたものでした。
創刊号は、扉頁で久世光彦さんが缶ピースをふかす(もちろん久世さん、そしてその後もご存命の作家に遺影を撮らせていただくのがこの企画の狙いだった)。巻末の「The Last Waltz」は福田和也さんが仏小説家モーリス・ブランショ、坪内祐三さんが高名な文芸編集者安原顯を追悼した。
坪内さんの「記憶の鞭。」と題された一文。よくある死者の功績、人柄を讃えるものでなく、安原を村上春樹や坪内自身への嫉妬を〈愛の鞭〉だとか〈励まし〉の言葉に摺り替えた卑怯者として、厳しく、まさに鞭打ったものになった。
思ってみれば、『en-taxi』は初めからこうした死の匂いをまとった雑誌だったのかもしれない。
他にも、リリー・フランキーさんの『東京タワー オカンとボクと、時々オトン』、柳美里さんの『黒』と、創刊号からすでにDEATHの予感がぷんぷん漂っている。
しかし、そんな中で、ツボさん、あなたは殊更に明るく振舞った(そして、後に同人になられた重松清さん!)。
リリーさん、柳さん、それからこれまた人一倍「死」と親しみがちな福田和也さんの作品と異なり、あなたの書くものには光が差していた。
坪内さん、あなたは明るかった。
これは、誰もがうなずくことでしょう。
ところが、新宿五丁目のバーで偶然隣り合わせた初対面の客も、すぐにあなたが、失ったもの、失いかけているものにきわめて鋭敏な人だと気がつきます。
風景。建築。音楽。映画。芝居。プロレス。女性。食事。酒……。
そして、あなたはそれらを語るのに精魂をかたむけた。
書くときも、語るときも、あなたは軽みをもって、それらと親しんでいた。
坪内さん、あなたは明るかった。
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