更新日:2023年03月20日 10:51
エンタメ

萩原健一さん最後の名著の編集者「深夜に2時間怒られました」

神代辰巳と黒澤明について長く話してくれた

 神代辰巳と黒澤明については、ずいぶん長く話してくれた。  神代監督の作品には何本も出たが、そのいきさつは、まさに共犯というものだった。企画が生まれる前から脚本、キャスティング、撮影、編集まで徹底的にかかわっている。萩原さんのプロデュース能力の高さをうかがわせる話だった。 萩原健一 もどり川 スガさんが「アフリカの光」のなにも起きない停滞感を讃えると、 「いや、自分は神代さんには100人の評論家に受けるよりも10万人の大衆に応える作品を作ってもらいたかったんですよ」 と遮った。  そして、神代監督にカンヌのパルムドールを獲らせたくて「もどり川」を一緒につくった、と言った。大正時代の破滅的な歌人を演じた「もどり川」は、芸術志向の極致のような一本だ。  黒澤「影武者」の現場にいったときは「そうか、これが映画なんだ。自分はいままで何をしてきていたんだ」と驚愕した、といった。武田信玄は降板した勝新太郎でなく、企画段階では中村翫衛門の予定だった。「乱」にも続けて誘われたが、断ったとも話した。

深夜の電話で二時間、怒られた

 取材のあいだ、一貫して紳士的だった氏の異なる貌をみたのは、本がまとまり発売記念のサイン会をおこなった日の夜だった。あまり人が集まらなかったので、急遽質問コーナーをつくり、終演後、帰宅すると、深夜℡がかかってきた。  喉を抑えたような声で「萩原です」と言った。 「あなたねぇ。あれはよくないですよ」  予定にない質問会を設けたことで、萩原さんは終了後控室で声を荒げ、仕切りのわるさを非難して詫びの言葉もきかずに帰ってしまったのだった。  それから二時間、℡で僕は罵(ののし)られつづけた。  取材のとき、「ボクはもう酒も煙草もやめたんです」と聞いたが、深夜の℡のあいだ、途中で「あ、ちょっと待って」と罵るのをやめ、遠くでドアをあける音がして暫くしてもどり、受話器の向こうでグラスの氷をカランコロンとかき混ぜている音がした。ウィスキーか焼酎の水割りをつくっているらしかった。だんだん呂律(ろれつ)があやしくなり、声が裏返り。それでも準備不足、仕切りの悪さを非難しつづけた。  だけど、一時間半くらいそうして罵声を浴びせたあと、次第に落ち着いてきたらしく、最後は「それじゃ、今日はこの辺で。またいい作品を作ろうよ」と言葉をのこして、℡は切られた。ああ、この人は怒鳴り散らして独りで帰ったことを恥ずかしがっている、と僕は思った。僕は初めてこの人に触れた気持がした。 萩原健一映画論 映画をみるというのは、消えゆく映画俳優との別れを交わすことかもしれない。優作。渥美清。池部良。高倉健。菅原文太。それからこんどは、萩原健一、か。 <文/壹岐真也>
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