更新日:2023年03月28日 09:48
エンタメ

山口百恵が40年ぶりの著書を刊行。人気絶頂の21歳で引退した百恵伝説

大ブレイク:歌手としても女優としても大成

 “あなた(男性)に一番大切なものを差し出す”という、これまたショッキングな趣旨のフレーズから歌い出す5枚目のシングル「ひと夏の経験」で、「青い性路線」は一つのピークを迎えた。この曲が大ヒットしたことで、大ブレイクを果たした百恵は、トップスターへの階段を一気に駆け上ったのである。  同曲が発表された1974年には、初主演映画『伊豆の踊子』も公開され、ここでの演技が高い評価を得たことで、女優としても注目されるように。また百恵は、以前にもCMでの共演経験があり、この映画でも相手役だった三浦友和と、お似合いのコンビと見なされるようになり、数多くの映画やドラマで共演を重ねることとなった。そして、共演した作品が次々とヒットを飛ばしたことで、「ゴールデンコンビ」という呼び名まで獲得した。
ひと夏の経験

大胆な内容の楽曲を歌い、徐々に人気を集めていた百恵は、「ひと夏の経験」で大ブレイク。ここから、国民的な歌手に上り詰めていくことなる。(画像は『15歳のテーマ ひと夏の経験』のジャケットより)

絶頂期に引退:三浦友和との交際を突如発表

 ブレイクした後も、たくさんのヒット曲を送り出した百恵は、1978年の『NHK紅白歌合戦』で、10代でありながらトリを務めるなど、国民的な歌手といっても過言ではない存在となる。「秋桜」や「プレイバックPart2」、「いい日旅立ち」といった名曲は、若い方でも耳にしたことがあるのではないだろうか。  また女優業も、三浦とのコンビの人気を不動のものとしたTBSのドラマ・赤いシリーズや、『絶唱』、『泥だらけの純情』といったヒット作に恵まれ、順調にこなしていた。しかし1979年10月、大阪で行われていたコンサート会場で、かねてから噂のあった三浦と、恋人であることを突如として宣言。翌年3月には、婚約したことと同時に、芸能界からの全面的に引退することを発表した。
泥だらけの純情

さまざまなドラマや映画で、三浦との共演を重ねていた百恵。1979年には、彼との交際を自身の口から発表し、世間に衝撃を与えた。(画像は『泥だらけの純情』のジャケットより)

引退~現在:今では息子たちが芸能人として活躍

 百恵の最後のコンサートが行われたのは、1980年10月の日本武道館。「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」という名言を残し、真っ白なマイクをステージに置いて去った彼女は、21歳という若さで芸能生活を終わらせることとなった。  わずか7年半ほどという短い活動期間でありながら数々の印象的な楽曲を残し、人気絶頂期に引退して以降、表舞台から一切姿を消してしまったことで、伝説の存在となった百恵。現在では、三浦友和との間に生まれた長男・祐太朗や次男・貴大も芸能活動をしており、時々、母である百恵とのエピソードが語られている。
budokan

人気絶頂期にありながら百恵は、日本武道館で最後のコンサートを行った。最後にマイクを置いて、舞台から去るという演出は、今でも語りぐさとなっている。(画像は『伝説から神話へ BUDOKAN・・・AT LAST 1980.10.5.』のジャケットより)

 ――そのすごさを知らない若い人に向けて、“伝説の歌姫”と呼ばれる山口百恵のヒストリーをご紹介してきた。これを機会として、彼女が残してきた名曲の数々に触れていただければ幸いだ。<文/後藤拓也(A4studio)>
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