更新日:2019年09月01日 10:47
エンタメ

CHAGE and ASKAの40年を振り返る――出会いからASKA脱退まで

 8月25日、シンガー・ソングライターのASKAが、CHAGE and ASKAからの脱退を自身のオフィシャルサイトで発表した。これから先ソロ活動を行っていくうえで、2009年より活動休止中であるCHAGE and ASKAを維持していくべきなのか、周囲のスタッフらと協議し、今回の決断に至ったという。
ひとり咲き

「チャゲ&飛鳥」という名義で、「ひとり咲き」でレコードデビューを果たしたチャゲアス。現在では、デジタル配信などでもこの曲を聞くことができる。(「ひとり咲き」YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS)

 折しもこの日は、デビューから40周年となる節目の日。ここ数年は、スキャンダル的な話題で取り上げられることも多かったが、いくつものヒット曲を生み出してきた人気デュオの復活を期待していた人も、少なくなかったはずだ。しかし、応援しているファンにとっては、非常に残念な記念日となってしまったことだろう。 「チャゲ&飛鳥」という名義で、「ひとり咲き」でレコードデビューを果たしたチャゲアス。現在では、デジタル配信などでもこの曲を聞くことができる。30代以上の読者であれば、チャゲアスとともに、青春時代を送ってきただろうが、若者たちからすれば、いまいちよく知らないという人も少なくないはずだ。そこで今回は、CHAGE and ASKAの歴史を振り返ってみたい。

デビュー前:放課後の教室で、運命的な出会い

 ChageとASKAが出会ったのは、福岡県の高校時代のこと。ASKAは、剣道の腕が優れていると校内の噂になっており、その存在をChageは認識していたものの、三年生になるまで話したことはなかったという。  ある日の放課後、Chageが学園祭のために組んだバンドで練習をしていところ、隣の教室から、バンド演奏にも勝るような大きい歌声が聞こえてきたという。そこにいたのがASKAその人。思わず「お前、剣道じゃなかったのか」とChageが話しかけ、ファーストコンタクトを果たすこととなったそうだ。  だが、そこでめでたくコンビ結成とはならず、同じ大学に進学した二人は、それぞれに音楽活動に励んでいたという。音楽部に所属していたChageは大学二年のとき、部費を使い込んだ上級生の引退によって、部長をやらざるを得なくなったという。その際、週1回行われていた音楽部のライブに出演するなど、ASKAが手を貸してくれたことで、二人は親密な仲になっていったそうだ。

デビュー:アドバイスを受けてタッグを組む

 1978年、ASKAの誘いによってChageは、アマチュアミュージシャンのプロへの登龍門となっていた「ポプコン」こと「第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト」の福岡大会に出場を決意。だが、そのときもまだ二人はコンビではなく、別々に出場していた。  そこで、Chageはグランプリに、ASKAは最優秀歌唱賞に輝き、九州大会への出場が決定したが、彼らを見ていたヤマハのスタッフは、二人で組んだ方がいいとアドバイス。試しに歌ってみると二人の歌声の相性は抜群で、ここでCHAGE and ASKAが誕生することとなった。  パワーアップした二人は、第16、17回の「ポプコン」本選で連続入賞するなど、一躍注目される存在となり、1979年にはシングル「ひとり咲き」でデビューを果たしたのだった。

ブレイク:「SAY YES」で13週連続1位に!

 それからの大活躍は、ご存じの通りだ。1980年リリースの「万里の河」が大きな話題を呼び、この曲が収録されたアルバム『熱風』で、初めてオリコンアルバムチャートの1位を獲得した。  デビュー10周年となる1989年には一度活動を休止し、ロンドンに渡ったASKAは、本格的な音楽の勉強に打ち込むことに。その一年後、Chageをロンドンに呼び録音されたのが「SAY YES」だったという。 「101回目のプロポーズ」(フジテレビ系)の主題歌に採用されたこの曲で、初のオリコンシングルチャート1位を獲得すると、13週連続でトップに立ち続け、最終的には280万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
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