“ゴミ屋敷の住人”を責めたてるテレビと、刺激に依存する視聴者
少し前、何気なく朝のニュース番組を見ていたときのこと。その日の特集は「ゴミ屋敷問題」で、地域に迷惑をかけているゴミ屋敷の住人を直撃インタビューするという内容のものでした。
ワイドショーがゴミ屋敷を取り上げるのはめずらしいことではありません。少なくとも、この日の放送を見て私は「またか」と辟易しましたし、みなさんも一度は目にしたことがあるのではないかと思います。
結論から書くと、この「ゴミ屋敷問題」の特集には大きな違和感を感じざるを得ませんでした。ゴミ屋敷のインターホンを何度も鳴らし、住人の男性が取材を拒否しているにもかかわらず、リポーターがしつこく追いかけ、わざと怒らせる。耐えかねた住人がリポーターに怒鳴り、バケツに入った水を浴びせ、その様子を番組中に何度も流しては、コメンテーターたちの嫌悪感溢れる表情が映し出される。
これが、公共の電波を用いた「嫌がらせ」や「吊るし上げ」でなければ何だと言うのでしょう。どんな人権意識を持っていたらそんなことができるのか、「ご自身の行動が近隣の方の迷惑になっているって分かってるんですか」なんてどういう立場から言っているのか、とても理解ができません。
確かに、ゴミを放置していることで悪臭が発生するなど、近隣住民の方に直接的な被害が出ているのは明白ではあります。彼らがゴミ屋敷の主に対して、何度となく対話を試みたであろうことも分かりますし、相当な不満が溜まっているのも想像にかたくありません。
この場合、通常は行政があいだに入って、強制執行や強制撤去などの「行政代執行」の対処を取るなど、自治体からの解決策が用意されています。
ゴミ屋敷の住人は社会から孤立していることが多く、重大な問題を抱えていて、精神的な治療や支援が必要な状態であることも考えられます。本人が症状に自覚的でない場合、周囲の人が異変に気づくことで早期治療につながりますが、一人暮らしで地域との交流もなければ、重症化するリスクは高いでしょう。人と関わることを極度に恐れていたり、物を捨てることに強い不安を感じていれば、ゴミが溜まり、近隣住民との関係が悪化し、ますます誰にも頼れなくなる悪循環を形成するかもしれません。
そんな中で、突然テレビカメラを抱えたスタッフたちから大勢で追いかけ回され、悪者だと責められ、好奇の目にさらされてしまうことは、一体ゴミ屋敷の住人にとってどれほどの仕打ちとなるでしょう。ともすれば、一生立ち直ることができないほどの深い傷を与え、今以上に人間不信に陥らせてしまうことも十分に考えられます。
行政の介入による問題解決が可能であるにもかかわらず、はたして、テレビ局側が、取材を拒否している住人にしつこく詰め寄り、「ニュース番組」内でその映像を流してコメンテーターたちに批判をさせることに、一体何の意味があるのでしょうか。「報道の自由」の名の下では、いち個人の人権は軽んじても問題がないのでしょうか。
「近所迷惑」だと、正義ヅラするリポーター
ゴミ屋敷の裏に、精神的な病や孤立の可能性が
1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中。著書に『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 twitter:@bambi_yoshikawa
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