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「貧困は自己責任」だと思っていませんか?/吉川ばんび

 トランクルームに住む「ワーキングプア」、劣悪環境で暮らす「ネットカフェ難民」、母の遺骨と暮らす「車中泊者」……etc. 貧困問題に鋭く切り込んだ、週刊SPA!発の書籍『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』(著者・吉川ばんび&週刊SPA!取材班)。このコロナ禍で書店の多くが営業自粛する中で、発売から約10日ほどで重版が決定! 果たして、貧困は自己責任なのか? メディアの役割とは何か? SNSでも中心に話題を集めている本書の中から第一章「見えざる貧困 ワーキングプア」に対する、吉川ばんび氏のコラムを掲載する。

本書の各章のコラム、そして最後の衝撃的な総論を執筆した吉川ばんび氏

「段階的支援」の乏しさが見えざる貧困を生む

文・吉川ばんび 「変に頑張っちゃうより、いっそホームレスまで落ちちゃったほうが楽なんですよ」  地方の、とある街。元ホームレスの男性から聞いたこの言葉が、強く印象に残っている。男性は以前、家賃が払えなくなって住居を追い出されたのをきっかけに、数年間は日雇いの仕事をしながらネットカフェを転々とする生活を送っていたという。しかし、持病が悪化して思うように働けなくなったことから、路上で生活せざるを得なくなった。  賃貸物件に住んでいたころに、生活保護受給の相談に市役所を訪れたこともあった。しかし職員は「親族に援助してもらってください」の一点張りで、結局、受給には至らなかった。男性には兄弟もいたが、すでに縁を切っていて連絡先すらわからない。たとえ連絡がついたとしても、兄弟や親族が援助をしてくれる可能性はほとんどゼロだ。 「ネットカフェで生活していたときは、明日生きているかもわからない状態が続いてとにかくキツかった。日本は豊かな国だから社会保障も充実しているはずだと思っていたので、まさか自分がこんなふうになるとは思わなかったですよ」  自分は運が悪かっただけかもしれないですけどね、と男性は笑ったが、実はこうしたケースは稀有ではない。生活に困窮している人は、誰にも助けを求められないか、助けを求めても厄介払いされ、孤立しやすい傾向にある。  そして、どうにもならなくなってから役所に相談したにもかかわらず、親族の援助を受けられるとか、車を持っているとか、さまざまな理由で「審査基準を満たさない」と判断される。親族との関係が悪くて絶縁状態にあったり、車がないととても生活ができないほどの田舎に住んでいたりなど、いくらやむを得ない事情だとしても、「マニュアル」に当てはまらないことはまだまだ理解が得られづらいようだ。  男性の言う「ホームレスまで落ちちゃったほうが楽」は、言い換えれば「支援を受けやすい」ということだ。路上で生活しているとボランティアや支援団体の職員から声をかけられ、食事の提供、生活物資の援助、住居を確保するための支援を受けられることがある。こうした支援は公的制度によるものではなく、NPO法人などの民間団体によって行われている。  ネットカフェやトランクルームなどを漂流している間、ほとんど誰の助けも得られなかった彼らの経験を考えると、「変に頑張っちゃうよりも、ホームレスまで落ちちゃったほうが楽」といった発言もうなずける。

支援にたどり着くまでの高いハードル

 貧困に陥っている人にとって支援を受けることは、意外にもハードルが高い。 ホームレス 前述したように、生活保護の受給には一定の審査基準が存在するのはもちろんだが、多くの人はそこに至る前に「支援を求めるべきか否か」の判断ができない。そもそも「自分は支援を必要とするほど困窮している」といった自覚がないため、なんとか自力で生活を立て直そうと必死になり、根本的な解決までたどり着けないのだ。  さらに日本では「貧困は恥ずかしいこと」という風潮がいまだに根強く、低所得者や生活保護受給者への偏見もなくならない。メディアがこれまで貧困を「見せ物」のように面白おかしく扱い、好奇の目にさらし続けてきたためだ。  貧乏生活を送る大家族に密着するドキュメンタリー、生活保護の不正受給者を「成敗」するニュースに、夢を叶えるために上京してひとり暮らしに挑戦する貧乏な若い女性を「あたたかく見守る」バラエティ番組。数千人に一人いるかどうかのレベルの話を、堂々と「どうぞ見てください、これがお金に困っている人の姿です」と地上波で紹介し続けることで、世間には極端に偏った「貧困像」が形成されてしまった。  特に生活保護受給者には悪いイメージが強く定着しているが、厚生労働省の調査によると、2015年の生活保護の不正受給率は0.45%だった。99.55%は必要に合わせて適正に支払われているにもかかわらず、ほんの一部にすぎない不正ばかりが取り沙汰され、生活保護費を受給せざるを得なくなった人たちの現状や歩んできたプロセスなどについては、報じられないままだ。  そうやって世間から冷たい目を向けられてきた貧困は、いつしか「自己責任」といった言葉で乱暴に語られ、切り捨てられるようになった。「負け組」とけなされ、人々の嘲笑の対象になった。  そんななか、自分たちが経済的に困窮していることを正面から受け止め、自分が、あるいは家族や子どもまで好奇の目に晒される覚悟で支援を求められる人たちが、どれだけいるだろうか。
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年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-

この問題を「自己責任論」で片づけてもいいのか――!?
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