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<純烈物語>医学部志望が暗転!? 後上翔太が語る運命の交通事故<第23回>

<第23回>勉強ができたのは報酬があったから。後上翔太が語る運命の交通事故

 人生における最初の就職先が純烈という、社会人として特殊なスタートを切った後上翔太。そこから先はドロップアウトすることなく、メンバー内における役割を果たしてきたわけだが、酒井一圭が言った「不良なのに頭のいいタイプ」は、組織における円滑な立ち位置を築く上での勘どころになっているのだと思える。  小さい頃は、自分が将来なりたいものを考える以前に周囲から医師の道を進ませたいという空気を感じ取っていた。交流が深かった母方の祖母が医者でありながら、2人の娘があとを継がなかったため孫にその期待を寄せたのだ。  中高一貫教育の桐朋に入り、中3の時点で大学付属校が志望対象外であることに気づくまでは、なんの疑問もなく敷かれたレールの上を走っていた。あらかじめ設定された高校に進み、大学は医学関係を受ける。  息子がそれに反発したり「このまま言われるがままでいいのか?」と自我に目覚めたりしないよう、両親のやり方は周到だった。テレビが見たければ「じゃあ、ここまで問題集をやったらいいよ」とノルマを提示され、欲しいものも約束した点数を取れば買ってもらえた。  そこに報酬が与えられたら、それだけを考えて勉強に没頭できる。学ぶことの意味や楽しさなど考えもしなかったが、そうすることで成績が伸びたのは確かだった。 「幼少期から勉強することによるメリットがわかる子でした。東大を目指すのも東大というタグの特権があるからみんな目指すんだなとか。そういう自分にとってのメリットとして勉強できるか、できないのかの違いでしかなかったんです。逆に言うと、メリットを得る上で必要ないと思ったら手を出さない。小学生だと、一つの絵を1ヵ月ぐらいかけて描くとしますよね。鉛筆で下描きして、色を塗るさいはどの色をどの順番で塗るかを考える。  僕は青一色で塗って、空の絵ですと言い張って出していました。『ちゃんと描かないとダメじゃないか!』って言われても『ちゃんと描きましたよ。だって、これって受験には出ないですよね?』と返した。機能性でいったら、そちらの方が合っている。歴史も、どの時代もわりと均等に触れるけど縄文時代や弥生時代はあまりテストに出ない。竪穴式住居と邪馬台国と卑弥呼さえ憶えていればどうにかなるから、あとは切り捨てちゃう」  また、勉強を通じて社会が必ずしも平等ではない仕組みも知った。同じように悪いことをやっても、点数がいい秀才と低い生徒では怒られ方が違う。  これが世の中に出ると、判断基準が成績から肩書や容姿などに広がる。点数というものによって、後上はそこに付随してくる価値観を実感させられた。  順調に敷かれたレールを進んでいた後上だったが、高校2年の夏に転機が訪れる。在籍していたバスケットボール部の先輩たちがインターハイを終えて引退。本来ならばそこから自分たちの代が始まるというタイミングで退部した。
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医学部志望クラスを取るも落ちこぼれ
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