『志村けんのバカ殿様』には元ネタがあった…国民的コント番組を改めて振り返る
3月29日、国民的な人気を集めたお笑いグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーで、タレントの志村けんさんが亡くなった。享年70、死因はご存じのとおり新型コロナウイルスによる肺炎だった。
最高視聴率50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録したこともある伝説的なバラエティ番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)などに、ザ・ドリフターズのメンバーとして出演し、すでに国民的な知名度を獲得していた志村さん。1985年に『全員集合』が終了したあと、冠番組がいくつかスタートしたが、1986年より放送開始となった『志村けんのバカ殿様』もそのひとつだ。
白塗りの顔に太い眉毛と口紅、立派なちょんまげが印象的な志村藩のバカなお殿様が、ドタバタ劇を繰り広げるという爆笑コント番組だった『バカ殿』。実はこれ、『全員集合』のなかに原型となるコントがあったそうで、それは「一条大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」という歌舞伎の演目を、パロディにしたものだったという。
お約束のギャグや過激な下ネタを盛り込んだ内容で人気を博した『バカ殿』は、以降、不定期特番として放送が続けられてきた。近年でも、年3回程度のペースで番組が作られており、今年1月にも「マツコもサンドも氷川も初笑いSP」が放送されている。そこでは、サンドウィッチマンが殿の前でネタを披露する「殿のお友達」や、氷川きよしが「きよしのズンドコ節」を歌いながら殿の部屋に登場する「きよし参上」といったコントが披露された。
志村さん扮する殿と、共演するタレントたちのキャラクターも、このコントの大きな見どころとなっていた。
殿に仕える家老役を最初に務めたのは、ザ・ドリフターズのリーダーだったいかりや長介さん(2004年没、享年72)。やんちゃな志村さんと、どっしりとしたいかりやさんのコントラストが魅力となっていたようだ。
1986年に『全員集合』のワンコーナーから『志村けんのバカ殿様』として一本立ちしてからは、ベテランコメディアンだった東八郎さんが二代目の家老に。東さんと志村さんは公私ともに親交が深かったようで、子どもたちから「バカ」とからかわれることを悩んだ志村さんが東に相談したところ、「(バカだと思われているのは)演じているのがわかられていないこと」、「芸人としていいことだ」と助言されたというエピソードが残っている。
1988年に東さんが逝去すると、側用人の一人だった桑野信義が家老の跡を継ぐことに。もともとはトランペッターとしてバンド「シャネルズ」に加入し、芸能界デビューを果たした桑野だが、そのバラエティの才能が評価されて大役に抜擢されたのだ。その後、志村さんのベストパートナーとして定着した桑野は、最新回まで家老役を演じることとなった。
番組開始時より、殿にツッコミを入れる役割の側用人として出演していたのが田代まさしだ。殿との軽妙なやり取りが人気を博していたものの、度重なる不祥事のため、2001年を最後に番組から退いている。田代と入れ替わるように、同時期からレギュラー出演者となったのがダチョウ倶楽部。間の抜けた三人組の家臣として、志村さんとは最後まで息の合った掛け合いを見せていた。
一方、歴代の腰元役は由紀さおりやMEGUMI、磯山さやか、多岐川華子、野呂佳代など、豪華な女性タレントたちが務め、番組に華を添えてきたことも忘れてはならない。他にも、「赤まむし~」というフレーズでお馴染みの「ナオコ姫(研ナオコ)」や、殿の幼馴染のバカなお姫様「優香姫(優香)」、俳優の柄本明演じるベテラン芸者など、たくさんの名物キャラクターが登場し、お茶の間を沸かせた。
コメディアンとして長年にわたり活躍を続け、大御所と呼ばれるようになってからも、精力的にバラエティ番組への出演を続けていた志村さん。つい最近まで、元気な姿をお茶の間に届けていただけに、突然の訃報のショックは大きく、日本中に悲しみが広がった。
今回は、多くの笑いを生んできた志村さんを偲び、彼の代表作のひとつであるコント番組『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)の歴史を振り返ってみたい。
バカ殿は歌舞伎「一条大蔵譚」のパロディだった
先代の家老役がいた!?
脇を固めた豪華共演者たち
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