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志村けんの先見性。34年前の番組企画はYouTubeの先駆けだった

34年前にあった「YouTubeの走り」

「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」で放送されたコントは本当に面白かった。特に俺の好きな「いかりや・志村」コンビによる「医者と患者」「貧乏飲み屋」や「志村・加藤」コンビによる「階段落ち」は何十年も前に作られたコントなのに今、見ても腹を抱えて笑えるコントだった。  志村さんのコントは時代の流行りなどをコントにほとんど入れていない。最近ではCSなど過去のバラエティ番組が多く放送されているが、そこにある「懐かしく笑う」という趣と、志村さんのコントがもたらす笑いは一線を画している。 「志村は死なないの。ずっと生きている」。  追悼番組の最後に高木ブーさんが放った言葉である。この言葉が逆に俺を現実へと引き戻した。志村さんは死んだ。抗いようもないこの現実が体中を締め付けた。志村さんが亡くなったことにより、現在、レギュラー放送されている「スタジオコント」番組は消滅した。  若い人からしたら「スタジオコント」なんて、もう古いのかもしれない。時代はYouTubeだ。しかし、今から34年前、「全員集合」の後番組としてスタートした「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。その番組には「おもしろビデオコーナー」という視聴者投稿の笑えるビデオ作品を紹介するコーナーがあった。  それこそが現在のYouTubeの走りだと言われていることを記しておきたい。企画発案者は志村さんだ。そして、今後も廃れることがないであろう「じゃんけん」の最初の掛け声である「最初はグー」をテレビで初めて披露したのも志村さんだ。  時代に流されることなく今でも笑えるコントを作り続けた志村さんが最後の最後に「新型コロナウイルス」という「流行り物」に手を出したということを、志村さんが全国民に身を挺して放った「ボケ」というメッセージと捉え、俺は一週間、家に閉じこもりこの原稿をかきあげた。  俺が最初に見た「お笑い芸人・志村けん」。やはり志村さんは死なない。ずっと生き続けている。ご冥福をお祈りいたします。1972年、大阪府生まれ。1992年、11期生としてNSC大阪校に入校。主な同期に「中川家」、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、陣内智則らがいる。NSC在学中にケンドーコバヤシと「松口VS小林」を結成。1995年に解散後、大上邦博と「ハリガネロック」を結成、「ABCお笑い新人グランプリ」など賞レースを席巻。その後も「第1回M-1グランプリ」準優勝、「第4回爆笑オンエアバトル チャンピオン大会」優勝などの実績を重ねるが、2014年にコンビを解散。著書『芸人迷子

芸人迷子

島田紳助、松本人志、千原ジュニア、中川家、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズ……笑いの傑物たちとの日々の中で出会った「面白さ」と「悲しさ」を綴った入魂の迷走録。

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