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元すすきのNo.1キャバ嬢・椎名美月「女ではなく人として好かれたかった」

昼夜逆転生活、仕事と育児の両立

 シングルマザーを公表してからも店でナンバーワンを獲るために、夜遊び情報サイトのブログを毎日更新した。そこでアクセスランキング上位になると、バナーに自分が掲載されるからだ。こうして閲覧数を伸ばすと、雑誌でも特集を組まれることが増えた。その結果、全国から椎名さんを求めて客が訪れるようになったという。  とはいえ、仕事と育児の両立は大変ではなかったのか。 「普段から飲酒量が多かったので二日酔いがひどくて疲れてしまうこともありました。日曜日は絶対に休んで娘との時間に充てました。お弁当もつくってあげました。でも、やっぱり昼夜逆転ですからね。娘といっしょに寝てあげられなかったり、我慢させたりすることは多かったと思います。それを違う形で埋めてあげようと思って。  ハワイやグアムに連れていってあげたり、他の子があんまり経験できないことをやってあげたりしましたが、果たしてそれが正解だったのか。彼女が大人になるまでわかりません」  将来、普通に公園で遊びたかったと言うかもしれないし、逆に公園で遊んでいた子どもたちは海外旅行に行きたかったと言うかもしれない。人間は誰でも“ないものねだり”をしてしまう。ただ、椎名さんはそのときそのとき、娘に対してできることを努力してきたのだ。

頂点を極めながらキャバ嬢を引退、経営者の道へ…

椎名美月 椎名さんは2019年、絶大な人気を誇りながらキャバ嬢を引退した。まだ25歳、続けてもおかしくない年齢だったが……。 「じつは、20歳で夜の世界に戻ったときに、最初から“子どもが小学校にあがる頃には引退”と決めていました。ずっと、カウントダウンしながら働いていたんです」  彼女は先の人生を考え、引退前に並行してエステサロンのプロデュースや経営など、社長業に踏み出していた。 「離婚したての頃、就職しようと思って何社か面接を受けたんですが、まだ子どもが小さいシングルマザーということで断られてしまったんです。それならば、私みたいな人や社員が働きやすい環境を自分でつくったらいいんだって」  とはいえ、趣味や特技もなかったという椎名さん。今まで人並み以上に何に時間を費やしてきたのか振り返ってみると……。  百万円のシャンパンを客からおろしてもらうのに、それに相応しい女性であるべきという考えから「週に3~4回はエステに通っていた」。気づけば、美容に対する知識もついていた。それならば、自分が勝負できるのは美容やエステしかない。  現在、そんな思いから会社を立ち上げて約1年。店舗数は1店舗から全国で8店舗の規模にまでなった。いちプレイヤーだったキャバ嬢時代から一転、マネージメントする立場に。試行錯誤の日々が続いているという。 「いま感じているのは、人を動かす難しさ。どうしてもプレイヤー気質が抜けなくて。すべて自分でやろうとしてしまうのですが、それでは全体がまわらない……。正直、落ち込むことも多いです。会社をスタートさせてから“経営者”としてインタビューを受ける機会も増えたのですが、まだ始めてから1年。ぜんぜん語れないよって(笑)。  “ママ”もそうですが、子どもを産んだからって、いきなり1人前になれるわけではない。経営者も同じで、いきなりカリスマ社長にはなれない。いろんな試練のなかで精一杯やるしかない。とはいえ、インタビューを受けるたびに改めて自分の仕事を振り返ることができる。神様がお前は経営者として頑張れよって。そういう運の巡り合わせを与えてくれているのかもしれません。だから、ここで諦めるわけにはいかない」
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コロナ禍で経営するエステサロンが大打撃
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明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi

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