死のイメージを大切にする
また、私自身は将来と過去、2つの「死」にまつわるイメージを意識するようにしています。「将来の死」に関するイメージとは、臨終を前にして、ベッドから動けなくなって天井を見つめている日々のことで、いつかはわかりませんが、私はその日が必ず来るだろうと思っています。
そして、あえてその時が1年後であると仮定して考えてみるようにします。1年後にベッドに居る自分から、今の自分を振り返って見たら、体が自由で何でもできることをとてもうらやましく思えるでしょう。そうすると、退屈に思えた今日1日が違って見えます。公園の木漏れ日の中を散策する時間も、友人と語り合っている時間も、風呂の中で心地よく湯船につかっている時間も、とってもいとおしく感じてくるのです。
自分の中にある「過去の死」のイメージも大切にしています。私は学生時代に自動車の無謀運転で、一歩間違えれば死んでしまっていたようなことが実際にありました。
思い出すだけでも身の毛がよだつような記憶なのですが、でもその時のことが頭に浮かんだときはしばしその記憶と向き合い、私もあそこで死んでいたのかもしれないな、などと考えるようにしています。
そうすると、心が凍り付いてしまう記憶が去っていった後に、今生きていること、時間が与られていることをしみじみと感じ、温かい感覚に包まれます。皆さんの体験の中でも、「もしあのときこうだったら命に関わっていたかもしれないな」というものがあれば、その記憶を大切にしてください。最初はつらいかもしれませんが、私のように、味わってみるのも1つの方法でしょう。
将来と過去の死のイメージを大切にすることにより、「人生には終わりがあるし、それは突然やってくるかもしれない」ことを意識することにつながります。これらのことは、「自分はいつまでも元気で頑張り続けられる」という“幻想”を打ち砕く方向に働いてくれます。
「自らの死を直視する」ことは、今まで死について考えることを避けていた方にとっては怖いことかもしれません。しかし、「死について考えないようにする」というやり方は、死の恐怖に対応する第1段階です。表面的で応急処置のような方法なので、それほど死の問題に直面していないときにのみ有効で、病気になるなどして、「死」について頻繁に考えざるを得なくなる状況になるとあまり役に立たなくなります。
がんなどの命に関わる病気に罹患したり、大切な人が亡くなったりする経験があると、「死」の問題と直面し、「考えないようにする」という表面的な対応から、次の段階の対応に進みます。そして、「死」という問題ときちんと向き合って考えるようになるのです。
年を取れば取るほど、「死」について頻繁に考える機会は増えてきますので、いつまでも避けていることはできません。そして、正面から「死」についてきちんと考えるようになると、それまでの忌み嫌われるような恐ろしいイメージが変わっていきます。「死と向き合うかはどう生きるかを考えること」ということは、多くの患者さんが教えてくれたことでした。
では、「死」に向き合う際に、何を考える必要があるのでしょうか。これについては過去の心理学領域の研究である程度明らかにされており、私は死にまつわる問題を3つに分類すると整理しやすいと思っています(下図「人が『死』を恐れるのはなぜか?」参照)。
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「人が『死』を恐れるのはなぜか?」
1 死に至るまでの過程に対する恐怖
2 自分がいなくなることによって生じる現実的な問題
3 自分が消滅するという恐怖
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そして、この3種類の問題には、それぞれ対処の仕方があるのです。漠然としたままにすると、得体の知れない不安や恐怖を感じますが、死にまつわる問題をきちんと考えていく中で、次第に恐怖の形は変わっていき、さまざまな備えができることが分かっていきます。この3種類の問題への対処は、今始めても早すぎることはありません。
死に至るまでの苦しみへの対策を知っておく
1番目の「死に至るまでの過程に対する恐怖」は、「がんは進行すると痛いとか言われているけれど、死ぬまでにどんな苦しみが待っているのだろうか?」という、肉体的苦痛に対する懸念のことです。
がんなどの病気に罹患した方の多くがこのことを心配され、「死」そのものよりも、そこに至るまで苦しむことの方が心配、という方はたくさんいらっしゃいます。
がんの場合、確かに以前は「壮絶な闘病生活が待っている」というイメージを強調するような報道、小説、映画などの作品が多くありましたので、一般の方が心配されるのも無理もないことだと思います。しかし、近年は状況がだいぶ変わってきた印象があります。
例えば私は病棟を毎日回診で訪れますが、患者さんとご家族が和やかに談笑されている姿にあちらこちらで出会います。看護師や医師など医療者もにこやかで、病棟の雰囲気に重苦しい印象はありません。もちろん、中にはさまざまな苦しみを抱えておられて精神的に追い詰められている方もいらっしゃるかもしれませんが、医療の現場を見ていただくと、「壮絶な闘病生活」という印象とはだいぶ異なることを実感していただけると思います。
では、死に至るまでの苦しみは、実際にはどのようなものなのでしょうか。例えば、国立がん研究センターが一般の方向けに作成しているがん情報サービスの中に、がんの療養と緩ケアに関する項目があり、がんに伴う体の痛みの多くは、鎮痛薬を適切に使うことで癒やすことができること、現在は苦痛を和らげるための技術(緩和医療)が進歩していてさまざまなサポートが得られることが具体的に書かれております。
そして、近年はがん以外の疾患でも体のつらさを和らげるための緩和医療が受けられる様になっています。最近は在宅医療も発展が著しく、病気になっても家で療養生活が送れるように、医療や介護の体制が取られつつあります。
1971年生まれ。精神科医・医学博士。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。
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