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ゲームプログラミングソフトを発売した任天堂。原点は「ファミリーベーシック」

80年代はゲームプログラミング全盛時代

 もうひとつの狙いは、“ゲームを作る”という楽しみの復権。ダンボールキットとJoy-Conを組み合わせて遊ぶ『Nintendo Labo』(2018年)にも、簡単なプログラミングができる機能が搭載されていました。
Nintendo Labo

『Nintendo Labo』でもビジュアル化された命令をつなげて簡単なプログラミングができた

 ファミコンが発売された1980年代は、個人のゲームプログラミングは特殊な趣味ではありませんでした。投稿プログラムが多数掲載された月刊誌「マイコンBASICマガジン」が部数を伸ばし、プログラミングコンテストも複数開催されていました。  もともと『ドラゴンクエスト』の堀井雄二さんも、エニックスが1982年に主催した第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに自作ゲーム『ラブマッチテニス』が入選したのが、ゲームクリエイターに進むきっかけ(ちなみに、のちにチュンソフトを設立する中村光一さんは『ドアドア』で入選。優勝者は『森田将棋』でおなじみの森田和郎さん)。才能とセンスあふれる個人が“ゲーム”を生み出し、それが認められる時代だったのです。

ルーツは「ファミリーベーシック」!?

 しかし、ゲームが産業として発展し、内容も進化・複雑化した現在、個人でゲームを制作するという発想そのものが失われつつあります。こうなると未来のクリエイターは育ちにくくなる。現状への危機感も任天堂にはあるのではないでしょうか。  振り返れば、1984年に発売された「ファミリーベーシック」は、ファミコンに専用キーボードを接続し、当時初心者向けのプログラム言語として浸透していた「BASIC」でのゲーム制作ができるのが売りでした(任天堂、シャープ、ハドソンの共同開発)。  子供のための安価な家庭用コンピュータという意味合いもありました。結果的にはMSXなどの他のホビーパソコンと比べて、ゲーム制作の自由度が低かった点がネックのひとつとなり、大ヒットには至りませんでしたが、「ファミリーベーシック」でプログラミングに目覚めた小学生も多かったという話はよく聞きます。  この「ファミリーベーシック」をルーツととらえると、今回の『ナビつき! つくってわかるはじめてゲームプログラミング』は、ある意味任天堂らしい一本といえるでしょう。 <文/卯月 鮎>
ゲーム雑誌・アニメ雑誌の編集を経て独立。ゲーム紹介やコラム、書評を中心にフリーで活動している。雑誌連載をまとめた著作『はじめてのファミコン~なつかしゲーム子ども実験室~』(マイクロマガジン社)はゲーム実況の先駆けという声も
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