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“孤高の鬼才”門田博光が振り返る野村克也との関係「確執とかそんな単純なもんやない」

「ヒットなんか興味ない。狙うのはホームラン」

門田博光 当時、野村は門田を走攻守揃った2番打者に育てるつもりだった。しかし、門田は頑なに拒否した。誰がなんと言おうと、自分の仕事だと信じたフルスイングをやめようとはしなかった。  野村が「お前は3000本安打、もしくは4割を狙えるんだからヒットを意識したスイングをしろ」と言っても、「ヒットなんか興味ない。狙うのはホームランです」と堂々と言い張り、野村を困らせた。 「2年目に3番を打たせてもらったんだけど、ノーアウト3塁だと三振しなくちゃならんかった。後ろの“19番”の仕事を取ったらあかんのです。最初、それがわからなくてヒットを打ったら、“19番”が怒るんです。ホームランを打っても『違う!』と言い放たれる。『俺はなんのために仕事をすればいいんですか?』と聞くと、『お前は俺の打点稼ぎのために打っとったらええねん』と平気で言われたんです。信用なんかできへんでしょ」

「確執」の真相

 当時のマスコミも、ともにチームの主軸である門田と野村の確執をこぞって取り上げた。今、門田の口から明かされるエピソードを聞いても、まさに「確執」と呼ぶにふさわしい憎しみに似た感情が門田の中で渦巻いていても無理はない。しかし、当の門田は「そんな単純なもんやない」と繰り返す。  ’78年、当時野村と愛人関係にあった“サッチー”こと沙知代の度重なるチームへの口出しが噂され、チーム内は野村派と反野村派の真っ二つに割れていた。球団は、監督の野村を解任する動きを見せるが、投打の柱である江夏、柏原が野村の住居である刀根山マンションに籠城しながら徹底抗戦し、チーム内は泥沼状態となった。  そんななか、当の門田はあえて静観していた。結局、野村は球団を去ることになる。 「おっさんが辞めるというんで、恐る恐る電話したんですわ。『いろいろとお世話になりました。みんな(他のチームメイト)からも連絡きてますか?』と尋ねると、『いや……連絡してきたんはお前だけや』と言うんです」
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野村を“おっさん”“19番”と呼び続ける門田
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