スポーツ

73歳の門田博光が語る、野村克也への憧憬「手を洗うふりして“鏡の中の19番”を見てた」

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは?前回に続いて、“孤高の鬼才”と呼ばれた門田博光の信念と、野村克也との関係性に迫る。

鏡に映る”左打者の19番”。ホームランだけを追い続けた信念の行方

門田博光

出会いと衝突から43年後の’13年、南海の系譜を継ぐ福岡ソフトバンクホークスのイベントで野村の手を引く門田

【画像をすべて見る】⇒画像をタップすると次の画像が見られます  通算ホームラン、打点ともに歴代3位。さらには球界初の“40歳でホームラン・打点の二冠”という偉大なる功績を残したスラッガー、門田博光。彼の野球人生にとって、野村克也という人物は忌むべき存在だったのだろうか――。 「確執なんて単純なもんやない」  73歳になった門田は、今もなお静かな笑みを浮かべてそう語る。

「門田は指導者に向いてない」

 ’77年、サッチーこと沙知代が絡んだ公私混同疑惑を理由に南海を去った野村。その後はロッテ、西武と渡り歩き、’80年に引退。26年の現役生活に幕を閉じた。 「あのおっさんは引退後に解説者になったんやけど、いろんな人に『門田は指導者に向いてない』って言い回ってたらしいんです。おっさんが言うことはなんだかんだ影響力がありますからね。かなわんですわ」  野村は講演でも門田を話題にし、野球関係者には「門田は指導者失格」と言い放った。野村が鬼籍に入った今、門田の指導者への道に少なからず影響を与えたその発言の真意は、知る由もない。 「とはいえ、僕を指導者にしたいと声を上げてくれた球団オーナーさんもいらっしゃいました。’05年には当時オリックス・バファローズの監督だった仰木彬さんからコーチの打診があったんですが……断ったんです。やっぱり、僕が人に教えるのは難しいんちゃうかと。自分でもそう思うんです。  自分ひとりであればいくらでも努力できますけど、それを他の選手に押しつけたらギブアップしてしまうでしょう。だから、指導者には向いてないんでしょうね。おっさんはそれを見越していたんと違いますか。  でも、引退してからしばらくたって、雑誌の対談企画で久々に会う機会があったんです。そのとき『おまえの指導者姿を見たかった』って言われてね。ようぬけぬけと言うなと思いましたよ(笑)。あえて何も返しませんでしたけどね。おっさんは何か返事を待っている感じでしたけど……」
次のページ
“おっさん”への憧憬、そして共鳴
1
2
3
Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事