他者の声を聞かない人は孤独になる
要するに「いきなり出ていく人」なんていないのです。わかってもらいたくて、よりよい関係を作りたくて、声は何度も上げられていたはずです。
それを無視したり、潰したりするような形で応じてきた人間に、
愛想も尽きていよいよ出ていくときに「出ていこうと思うけど、どう?」などと聞く道理があるでしょうか。
どうせ自分の間違い、愚かさ、未熟さ、非論理性などを責めるだけでしょう。その言動自体が、別れを選ぶ理由だということすらわからないまま……。
多くのDV・モラハラ加害者や被害者の方々の声を伺う中でわかってきたことがあります。それは「
声を聞かない人は孤独になる」ということです。
相手が感じたり考えたことを無視したり、抑圧的に振る舞う人は、
次第に誰からも本音を聞かせてもらえなくなります。
本音を聞かせてもらえないということは、どんなことで喜ぶかも、どんなことで傷つくかも教えてもらえなくなるということです。
それを教えてもらえたら、人は行動を修正することができます。フィードバックがあるから、人は変化できるのです。フィードバックをしてもらえない=話し合いをしない人間は、一緒にいる人と居心地のよい関係を作るために変わる機会を自ら破壊しているのです。
最初から完璧に相性のよい人間などいません。感じ方や考え方が同じ人間もいません。だからつまずきもあるし、衝突もあるのです。それらは自然なことです。
大事なのは、そのつまずきや衝突を前にして、共に考えてより良い関係に向かえるかどうかです。
より良い「関係」ですから、どちらかだけが相手に合わせたらいいのではありません。お互いに妥協し折り合いをつけながら、相手を大切にすることを通して、信頼関係が生まれます。その信頼関係は、妥協した何かよりも、人生においてずっと大切なものになります。
声を聞かない人間は、相手にだけ変化を求めます。自分にとって都合の良い人間に変わらせようとします。そんな人間と一緒に生きていきたい人はいません。
なので、声を聞かない人間は、孤独になるのです。
<被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント>
パートナーに、ディベート気質があったら黄色信号です。人間関係はディベートではありません。論理的な正しさを競うゲームでもありません。お互いが生きやすく、安心できる関係を作ることより重要なことはありません。ディベートを好む人間は理屈や論理、すなわち「感情」「感じ方」を軽視する傾向がありますが、生きやすさや安心とは、感情や感じ方の心地よさに他なりません。
<加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント>
自分のことを口喧嘩が強く論理的だと思っている人は、本当に気をつけてください。
論理よりも大切なのは、相手が感じていることです。相手の感情から始めることのできない人は、相手を「間違っている」とみなす可能性があります。その人の感じ方に間違いはありません。正すこともできません。正そうとすることは暴力になり、相手を傷つける結果に終わるかもしれません。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
えいなか