<後編>「僕らは一緒かも」23歳で逝った京大院生が遺した“死にたい人”への想い|山口雄也×yuzuka
大学1年生でがんが発覚して以来、ブログやSNS、テレビ番組などで闘病の様子を発信し続けてきた山口雄也さんが、2021年6月6日に亡くなった。京都大学大学院に在学中の23歳だった。『「がんになって良かった」と言いたい』の著者としても知られている。
本記事では、エッセイストで精神科の元看護師でもあるyuzukaさんが2021年春頃、生前の山口さんにインタビューした内容を前後編にわたってお届けする。なお、記事の内容については山口さんのご家族にご確認いただき、掲載の許諾をいただいている。
最初のがんの治療がようやく終わり退院するも、1年後に白血病を発症した山口さんは、その頃を振り返り「あのとき白血病になっていなかったら、僕はもう死んでいた」と明かした。
「みんな、死ぬときにだけ寄ってくるんやなって思うと、虚しかった」
その言葉の真意とは。そして、yuzukaさんの執筆テーマの一つでもある「自殺」について、彼が思うこととは――。(以下、yuzukaさんの寄稿)
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【前編はこちら】⇒<前編>23歳で他界した京大院生が明かした「最初に死にたいと思ったときのこと」|山口雄也×yuzuka
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白血病が発覚するまでは、毎日「どうしたら楽に死ねるか、誰にも迷惑をかけずに死ねるか」と、考え続けていたという山口さん。「車も持ってるし、練炭でもいいかなって準備をしかけたこともあります」と呟く。
しかし白血病と診断されて入院生活が始まり、再び知人やネット上の人からたくさんのメッセージが届くようになってフォロワーも増えると、「それを見て、生きなくちゃ、と思えた」と、山口さんは言った。
そんな中、白血病の治療が始まってしばらく経った2019年のある日、新聞社の取材を通して、彼のブログに書かれていた言葉のひとつ、 「がんになって良かった」という言葉がYahoo!ニュースに載った。その言葉が始めて世に出た瞬間だった。
「その言葉自体は最初のがんと戦っていたころ、『生き抜けた、生き抜くんだ』という前向きな気持ちになった瞬間に生まれた言葉でした」
昔話の流れで出た言葉だったが、記者の中ではその言葉が印象的であったのだろう。ネットニュースの見出しには、その言葉が大々的に使われた。
「がんになって良かった」
意図せぬ形で切り抜かれた言葉は思った以上の反響を呼んで、ネット上で炎上、誹謗中傷も殺到することとなる。
「がんで戦って辛い人がいるのに不謹慎だ、と言われました。だけど思った意図で伝わっていないというモヤモヤがあったんです」
納得がいかない気持ちのまま過ごしているとき、NHKからの密着取材の依頼が来た。
「批判を受けていたからこそ、『そうじゃないんだと』と伝えたい気持ちがあって、依頼を受けました」
「がんになって良かった」の言葉が世に出たとき
「不謹慎だ」とネットで炎上。モヤモヤの中で…
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