ライフ

<後編>「僕らは一緒かも」23歳で逝った京大院生が遺した“死にたい人”への想い|山口雄也×yuzuka

『「がんになって良かった」と言いたい』の意味

『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也+木内岳志)

『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也+木内岳志)

 4か月間に渡る密着取材だった。2019年9月に放送されたこの番組には大きな反響があり、翌年には書籍の出版もした。書籍のタイトルは、『「がんになって良かった」と言いたい』。 「がんになって良いわけがない。こんな病気になって良いわけがない。死んで良いわけがない。でも、心から自分の人生を認められるようになりたかった。だから、がんになって良かったと言わなきゃいけなかった。でも『いけなかった』だと、言わされたみたいでおかしい。だから、『言いたい』になった。そこを伝えたかったんです」  インタビューの最中、彼の口からは、「伝えたかった」という言葉が何度もこぼれおちていた。その言葉の通り、闘病期間中、SNSやテレビ取材を通し、常に人への発信を続けていた山口さんのSNSのフォロワーは、日に日に増していった。 「なんか、夢中でしたね。そのせいで試験に落ちたんですけどね。でもまあ、受かっていてもどのみち入院することになって卒論書けなかったし、必然やったんかな思う」と笑う。  フォロワーが増えると、遠い土地にいる、同じ病で闘病する人からのメッセージも増えた。 「そういう人たちからの言葉は勇気になりました。やってきた意味があったと思ったし、僕も頑張ろうと思えたんです」

白血病の“再再発”。自暴自棄に

 密着取材が終わって、退院。ようやく勉強に専念しようと思って1か月も経たない頃、山口さんは感染症にかかり、また入院することになった。その入院期間中に、白血病の“再再発”が発覚する。 「さすがにもうないやろ、と思っていた。ここまで頑張ったのに、なんでまた再発するねん、と思った」  そこから山口さんは、今までにないほど自暴自棄になった。顔は副作用で腫れて、激しく乾燥して、誰にも会いたくなくなった。その上その時期にコロナの流行が始まり、文字通り、誰にも会えなくなった。 「その頃にはブログの更新もできなくなって、薬を捨てるようになりました」  SNSでの些細な誹謗中傷が耐えられなくなり、攻撃的になってしまうことも多かったという。 「輸血を無駄にしたと言われたこともあった。まだ生きているのに、『あなたの分まで生きます』と送られてくるメッセージにイラっとしたこともありました。ブログを更新しようとしても、できなくなったんです」
次のページ
「死にたい」と思う気力すらなかった
1
2
3
4
5
おすすめ記事
ハッシュタグ