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<後編>「僕らは一緒かも」23歳で逝った京大院生が遺した“死にたい人”への想い|山口雄也×yuzuka

山口さんがブログを書く3つの理由

 インタビューの後半、話は、最後の入院が決まったときに書いた、冒頭にも紹介したブログの文章について、に戻った。 「私は、あの文章を読んだとき、どうしてこの人はこれを書いたんだろう、書けたんだろうと思いました。自分が死ぬかもしれない中、 あんなに美しくまとまった文章を書ける自信が、私にはありません。  山口さんはSNSを通して、人間の醜さにも触れたと思います。SNSから離れた時期もあった。それでもあの文章を誰かに届けようと思った理由って、なんなんでしょう。こうやって、私のインタビューを受けてくださる理由って、なんなんでしょう」  少しだけ悩んでから、山口さんは言った。 「僕がブログを書く理由は3つあります。ひとつは生きた証を残すため、ひとつは同じように闘う仲間に光を届けるため、そして最後のひとつが、より多くの人に生きることと死ぬことについて考えてほしいから、です。だからあのブログを書いたんだと思います。そして最後のひとつが、yuzukaさんの考えておられることと似ていると思いませんか?」

山口さんは「伝えたい人」だった

山口雄也さん 彼とのインタビューに、結論らしい結論はなかった。なぜなら「また次回」が、叶わなかったからである。彼と読む約束をした本は、しおりだらけのまま、今も私の仕事机に置いてある。  だけど私は、ただ彼の言葉を書き起こすだけでも、何かを届けることができると確信していたから、だからこうして、記事にすることを選んだ。  山口雄也さん。彼は23歳で、旅行が好き。阪神タイガースの大ファンだった。応援するときはついつい口が悪くなるけれど、実際の彼は自転車で万引き犯を捕まえるような勇敢な人だ。  何よりも、文章を書く能力に長けていた。嫉妬したくなるほど、彼の書く言葉は美しかった。  彼は、伝えたい人だったのだ。自分の辛さや苦しさやどうしようもない感情さえ、すべてを言葉にして、誰かに届けることで生きていた。たとえその相手について虚しさを感じていても、それでも、自分の生き様を通して伝えたいことがあった。分かってほしいという、切実な思いがあった。  だから彼は亡くなる間際まで、誰かに何かを発信し続けることに執着していたのだと思う。
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山口さんが“死にたい人”に思うこと
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