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恋愛しないことは欠落ではない。『恋せぬふたり』が取り戻す感情や存在

「恋愛しない方がおかしいという方がおかしい」

岸井ゆきの

岸井ゆきの 撮影/高坂結葵

 そんなときにふと「恋愛 しない わからない おかしい」とネット検索してヒットしたのが、高橋一生演じる羽(さとる)が運営するブログだった。  羽のブログには、「恋愛しない方がおかしいという方がおかしい」と書いてあった。他者に性的に惹かれない、他者に恋愛感情を抱かないことに「アセクシャル」「アロマンティック」という名前が付いていることも知った。  ヘテロセクシャル(異性愛)、ホモセクシャル(同性愛)、バイセクシャル(両性愛)など、一般に認知が広がってきている性的指向、恋愛的指向にはさまざまな形がある。でも、咲子はこのとき初めて、自分がアセクシャル・アロマンティックに当てはまるかもしれないと気づいたのだ。  咲子がそうであったように、このドラマを見て初めてこうした性的指向のあり方を知る人も多いと思う。 『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』によれば、(一人ひとりにグラデーションがあるため一概には言えないが、)アセクシャルは恋愛を否定するものでも恋愛に何かトラウマがあって避けているものでもない。ただ、他者に対してほとんどあるいはまったく性的に惹かれないことを指している*1。

自分の尊厳、存在、感情を取り戻すための「名前」

 このドラマでは「名前」がとても重要な意味を帯びていた。もう一度第1話の冒頭を振り返ると、咲子がとびきりの笑顔を見せている場面からドラマが始まっていることに気づく。  それは、羽が店員として働くスーパーでのこと。売り場にはキャベツなどの野菜が陳列されているのだけど、その一つひとつに、「キャベツ」ではなく「YR春風」などの名前と、品種を説明するポップが付けられていたのだ。  咲子は嬉しそうにそのことを羽に問いかけると、羽は「名前があるならきちんと呼びたいだけです。僕も一緒くたに『人類』とか呼ばれたくないんで」と答える。  本作で高橋一生は常に大事なことを言い続けるのだけど、その始まりがここだ。羽は咲子に「アセクシャル・アロマンティック」という名前、考え方を与えることになる。  では名前とはなんなのかと言えば、それは尊厳であり存在であり、感情であり体験の、「そうあっていい」という肯定である。彼らは無秩序に、それらを奪われてきたのだ。 「恋をして成長する」「親密な男女の関係はやがて恋愛に発展する」という恋愛至上主義的な考え方によって、あたかも存在や感情が欠落しているように思わせられてきた。  言葉で個人の存在や感情のすべてを表すことが難しいこともまた確かだけれど、咲子はひとまず名前を得ることで、咲子を咲子たらしめる大事なアイデンティティを取り戻す兆しを見せて、このドラマは始まるのだ。
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マジョリティから浴びせ続けられる不躾な質問
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ライター/編集者。1995年生まれ。『リアルサウンド』『クイック・ジャパン』『キネマ旬報』『芸人雑誌』『メンズノンノ』などで、映画やドラマ、お笑いの記事を執筆。 Twitter:@shimauma_aoi

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