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恋愛しないことは欠落ではない。『恋せぬふたり』が取り戻す感情や存在

マジョリティから浴びせ続けられる不躾な質問

恋せぬふたり

NHK『恋せぬふたり』公式HPより

 一人で暮らすのは寂しい、周りにとやかく言われて都合が悪いという理由から、かなり急展開で咲子と羽は同居することになるのだけど、これは典型的な恋愛ドラマや恋愛リアリティショーにおける「一緒に住む=恋に発展する」「疑似恋愛がマジ恋愛に発展する」を反転した展開とも言える。  彼らを取り巻く人々は、同居していると知ると必ず「じゃあ付き合ってるんだね」と迫ってくる。その度に否定し、また問われ、否定し、また問われ、を繰り返していく本作。彼らは問われる度に精神を摩耗しながら、絶対に恋には発展しない「家族(仮)」※2の関係を続ける。  ひとつ気になっているのは、セクシャルマイノリティである咲子や羽が、「学びの対象」として描かれてしまっている危険性。  第4話では、咲子の元カレである松岡一(濱正悟)=カズくんが羽と咲子の家にやってきて、「咲子と一緒にいてムラっとこないんですか?」などあれこれ問いかける。羽はそんなカズくんにこう言う。「わかりたい気持ちと不躾な質問は違いますよ」。

傷つきの上に学びがあっていいのか?

 カズくんが咲子を気にかけていることはわかるし、だんだんアセクシャル・アロマンティックのことを理解していく描写があるのはいいのだけど、そのために羽が過度に傷つけられるのは描き方としてあまりいい形ではないと思う。  カズくんが「アセクシャル・アロマンティック」という言葉を認識するシーンが序盤にあるが、「アセクシャル・アロマンティック」という言葉を知っているのであれば、当事者に問い続ける前にまずはその言葉の概念を調べてみて、知ってみるのがいいコミュニケーションのあり方ではないだろうか。  マイノリティ属性の個人の傷つきの上に、マジョリティ属性の大多数の気づきがあるなんて、果たしてそれでいいのだろうか。  そういう懸念はありつつも、『恋せぬふたり』はまだ折り返し地点。今後の展開で咲子と羽のせっかく取り戻しつつある感情や尊厳のことをもっと深く掘り下げて描いてくれることを期待したい。  それと同時に、「ちゃんと恋してる?」「本気で誰かを好きになる経験をしてみなよ」なんて言葉を今後、現実世界や創作物の中でまた耳にしたとき、「恋愛が大事な人もいるけど、その生き方が当たり前なわけではない」と想像力を働かせることのできるきっかけに、このドラマがなってくれればいいなと思う。 ※1 参考文献:ジュリー・ソンドラ・デッカー『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』明石書店、2019年 ※2 第2話で、一緒に生活しながらも自分たちの関係を従来的な「家族」という言葉に当てはめることに少し違和感を覚えた羽は、「強いて(他の言葉で)言えば『味方』かな」と伝える。ここでも彼らにとってしっくりくる「名前」を探す姿が描かれていた。 文/原航平
ライター/編集者。1995年生まれ。『リアルサウンド』『クイック・ジャパン』『キネマ旬報』『芸人雑誌』『メンズノンノ』などで、映画やドラマ、お笑いの記事を執筆。 Twitter:@shimauma_aoi
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