恋愛しないことは欠落ではない。『恋せぬふたり』が取り戻す感情や存在
「恋とかさ、ちゃんとしてこなかったでしょ。わかんないでしょ? 人を好きで好きでたまらない気持ちとかさ。本気で誰かと付き合ってみるとかしてみたら?」
これは2022年1月期のとあるドラマで発せられたセリフ。自身がやっている音楽活動でスランプに陥っているらしい男性に対して、マネージャーがこういうアドバイスをする。人生経験のひとつとして「恋愛」をすれば、楽曲づくりに生かされるんじゃないかという文脈で。男性はこの発言を受けて、恋愛に取り組んでみるという流れだった。
すごくよくあるドラマや映画の形だと思う。さまざまな理由からあまり恋愛をしてこなかった人が、周りからはやし立てられて恋愛をしてみて、結果的に幸せになったりする。
それ自体(恋愛をすること)には何も悪いことはないのだけど、「恋をすれば成長できる」「親密な男女の関係はやがて恋愛に発展する」というストーリーの形式が当たり前になりすぎたせいで、見逃してしまっている存在があるのではないか。
「恋愛」ってそんなに大事なものだろうか? その「恋愛」を「しない人」がいたら、それだけの理由で不幸だと決めつけられてしまうのか。
NHKのドラマ『恋せぬふたり』は、恋愛が人間にとって最高の価値であるとする「恋愛至上主義」的な考え方が根底にある日本のドラマ業界に、一石を投じる作品であることは間違いない。
第1話の冒頭で、岸井ゆきのが演じる主人公の咲子はかなりの時間、苦い顔をしている。じっくりドラマを見ていると、咲子がそういう顔をするのは「恋愛」に関する話題が出てきたときだとわかる。
後輩のサポートをしながらよい仕事をしただけで、上司からは「なになに〜ふたり仲良しじゃない?」と持てはやされ、「兒玉(咲子)もな、仕事一本じゃなく恋愛もな。そういう経験が商品開発に生きて、人を成長させるわけよ」なんてお節介まで言われて。記事冒頭に書いたあるドラマのセリフとほぼ同じだから、何も誇張したセリフではなくてこれが世の「恋愛ドラマ」のスタンダードであることはよくわかる。
咲子自身は、以前から恋愛の話になると急に感情が冷めていくのを自覚しながらも、この現象がなんなのかわからずに悩んでいた。自分みたいな人が他にもいることを知らなかった。それでもこの社会は恋愛することを強いてばかりだから、悩まずにはいられなかったのだ。
恋愛至上主義的な従来のドラマ
「恋愛に興味がない」は自分だけの悩みではない
ライター/編集者。1995年生まれ。『リアルサウンド』『クイック・ジャパン』『キネマ旬報』『芸人雑誌』『メンズノンノ』などで、映画やドラマ、お笑いの記事を執筆。 Twitter:@shimauma_aoi
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