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不幸や孤独を脱するためには、「愛されること」よりも「愛を受け取る能力」がより重要な理由

受け取ることができて初めて、僕たちは孤独から解放される

 GADHAで相談してくださる人の中には「相手を責めて妻が飛び出してしまった夜、冷蔵庫を見ると自分の好きなカレーが入っていた。そのとき、自分がやってしまったことに気づいた」といった方もいました。  パートナーがいなくなってから、「職場の不満」を話せる場所がなくなったことに気づいた人もいました。そう、本人は「愚痴」ではなく「上司や同僚、部下がいかにダメか」を話していたつもりが、それはつまるところ「愚痴」であり、それを聞いてもらうことで仕事のストレスを軽減させてもらっていたのです。  つまるところ、加害者が変わるプロセスには「自分が受け取っている側」であると気づくということが含まれています。与えられた愛を受け取ることさえしていなかった。当然ながら感謝もしない。その背景には自分の弱さを認められないという弱さがあったのです。  どれほど与えてもらっているかもわからず、そしてそれに感謝もせず、その愛を軽んじて、自分の方が「与える立場」だと、その方が強くて偉くて、自分らしい立場だと、そう思ってしまうのです。  お金を稼ぐことなんていかにもわかりやすく「与える」ことのように見えます。でも、本当に「一方的に与える関係」だとしたら、何故、僕たちは一緒に生きているのでしょう?  何のために人と生きるのか、その問いの答えを今はこう考えています。  自分一人では完全に自分をケアすることができないから、誰かと一緒に生きている。そして、相手もまた同じであり、ゆえに自分も相手をケアし、支えあって生きることが幸せだからだと。  与えてもらっていることに気づき、感謝するためには、なにより自分のニーズ、傷つきを認めることしかない。自分は、一人では満たすことのできない何かを抱えていて、それを他者との関わりの中で満たし、また相手のそれを満たそうとすることを通して、ともに生きるという選択を行い続けていくのです。  何を与えることができるのかと同じように、何を受け取っているのか、与えてもらっているのか、その尊さに心を開きたい。僕は今、そう思います。  「もうすでに与えられている」ことに気づいた時、愚かしいことに、衝撃がありました。自分は一人では生きられない、弱い人間であること。僕はずっとそれに気づいていませんでした。

他者と生きることの「責任」

 人と関わって生きていくことを選ぶのなら、そこにはいくつかの責任が生じます。  僕は「与えあっていること」「受け取りあっていること」を認める責任も、その1つだと思っています。その前提は「人には一人では満たせないニーズがあること」です。つまり、人は不完全で、だからこそ与えあい、受け取りあって、ともに生きていこうとする責任です。  誰もが一人では満たせないニーズを抱えているから他者と生きる。そこには「自他のニーズを知ろうとし」「それを満たそうとし、満たしてもらいたければ適切な依頼をし」「それが満たされれば感謝すること」の責任が含まれています。  異なる人同士が共に生きる以上、完全にわかりあうことは難しく、人を傷つけてしまうことは起こります。しかし、共に生きたいと願うなら、傷つけてしまったことから相手を理解しようとし、より愛し合える関係になろうとする責任があるのです。  わかりあおうとすることは、永遠にわかりあえないことを認めるところからしか始まらない。 わかりあえない二人が、わかりあおうとすること、ケアしあおうとすることを、「愛し合う」と呼ぶのだと思います。  いま、僕は恐怖に基づく努力をしていません。自分をケアし、関わる人をケアする意味において「もっと良くありたい」と思う、自分の内側から湧いてくる、自然で前向きなモチベーションに基づく努力です。  僕は人生で初めて、真の意味で他者のために、そしてそれが自分のためにもなるような形で、生きることを始められました。他者を幸福にすることを通して、だからこそ自分も幸福になれる。僕は加害者変容によって、自分が生きることの意味を見出すことができたのです。  加害者の償いは、決して下を向いて不幸に生きることではない。GADHAはそのように考えています。 <被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント> 愛する人を支えようと懸命に努力をしているのに、この人は自分の愛情を全く受け取ってくれない…そんな寂しさや徒労感を感じたことはありませんか? どれほど尽くしても尚パートナーが理不尽な要求を繰り返す場合、その人は自分も他者も愛せない状態である可能性があります。 最近あなたが自分のことを大切にできないと感じていたら、それはパートナーの加害により自分をケアするエネルギーまでもが枯渇してしまっているせいかもしれません。 あなたが持っている愛を、どうかご自身が生きやすくなるために使われることを願います。様々な専門機関があるので「DV 被害」などで検索してみてください。 <加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント> 自分はこんなに努力しているのに、どうせ誰からも愛されない、価値のない人間だ…パートナーが隣にいるのにも関わらず、ずっとそのような自己否定が消えない。 このような状態に心当たりがある人は、目の前に差し出されている愛が見えずにそれを跳ね除けているだけなのかもしれません。それによってパートナーも深く傷ついている可能性があります。 愛する人を自分の孤独に巻き込むような苦しい生き方をやめたい、そう思った方は、是非GADHAに連絡してください。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる

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