恋愛・結婚

「相手に多くを与えたのに、離れていってしまう」という人の特徴とは

「相手に良かれと思ってやった」ことでも、相手は自分を否定されたと感じている

 実は、こんなコミュニケーションのすれ違いが起きているカップル・夫婦はたくさんあります。  気に入ってもらえるだろうとネックレスをプレゼントしたのに、パートナーが次のデートでそれを身に着けてこなかったときのことです。  本当ならここで、理由を聞いてコミュニケーションを深める方向に行けば円満にデートが進むでしょう。パートナーが金属アレルギーである可能性もありますし、アクセサリーを着けることがそもそも好きではないのかもしれません。理由を話してもらえれば、次のプレゼントにそれを活かすこともできるはずです。  ところが関係を壊してしまう人は、理由も聞かずに不機嫌になったり、怒りを表して相手を無理やり従わせたりします。理由を聞いたとしても、カエルさんのように相手を理解しようとせずにそのまま同じ行動を続けてしまいます。  リスのようにきちんと自分の気持ちを伝えたにも関わらず、相手がまるで聞く耳を持たずに同じことを繰り返していたら、それを受けた相手はどう感じるでしょうか。ひとつひとつは些細なことのように見えても、「嬉しくない」と伝えたことを無視された経験が積み重なれば、相手は自己満足のためにプレゼントしているだけなのだと気づくときが来るでしょう。 「この人はいつも私が伝えたことを無視するんだな」「私の気持ちはどうでもいいんだな」と、自分を否定された気持ちになるのではないでしょうか。

善意の押し付けは愛ではない

 そして「嬉しくない」ことに耳を傾けられない人は、多くの場合「悲しい」「辛い」「嫌だ」という訴えも聞き入れないことが多く、相手が嫌がることを繰り返してしまうことも。そのような人と一緒にいると、相手は苦しくなるばかりです。   人はそれぞれ違う性質を持って生まれ、育った環境も違うのですから、与えられて嬉しいものも嫌なことも異なります。相手が欲しかったものを読み間違えることも当然起こりうることで、それ自体は避けられないことです。大切なのは、その後のコミュニケーションなのです。  自分が相手のニーズを読み間違えてしまった事実を認め、相手を知ろうとすることから「愛すること」は始まります。「喜ぶと思ってしてやったのに」と押し付けるのではなく、相手のニーズを読み間違えてしまった事実を認め、学び直して相手が心から喜ぶことをする。人はみな違いをもって生きており、それを肯定される関係が心地よい関係だと僕は思います。 「愛すること」ができずにカエルと同じ行動を繰り返した人に待っているのは、カエルと同じ一人ぼっちの生活かもしれません……。 <リスかもしれないあなたへ> カエルのようなパートナーや友人は悪意がなく、むしろ善意を持っているときすらあります。「悪い人ではないから…」と関係を続けていくうちに、段々関わるのが苦しくなる時があるかもしれません。そんな時、「自分を大切にするとは、自分を大切にしてくれる人を大切にすることだ」と考えてみてください。誰とどんな時間を過ごすのかを、自分が決めることができることを思い出してみてください。 <カエルかもしれないあなたへ>  通常、自分がカエル側かもしれないと自覚するのは極めて困難ですが、こんなセリフを言ったことのある人はカエルさんである可能性があります。「良かれと思ってやったのに」「嬉しくないんだったら返して」「あなたのためを思ってやったんだから、その気持ちには感謝してもいいんじゃない?」などなど、どれも他者のニーズを軽んじる言葉です。相手を大切にしたいなら、相手が大切にしているニーズを知ろうとし、それを満たすことに意識を向けてみてください。「人を大切にする(素晴らしい)自分でありたい」というニーズではなく。これは、全く別の、自分に向いたニーズです。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる

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