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町田啓太主演『テッパチ』にみる、自衛隊ドラマが“タブー”でなくなった理由

金八先生が扱った自衛隊問題

 両ドラマの放送中止に恐れをなしてか、1970年代は自衛隊を描いたドラマがないに等しい。何でも題材にするはずのドラマが、自衛隊をタブーにしてしまった。  1980年代に入ると、意外なドラマが自衛隊問題を真正面から扱った。1982年10月に放送されたTBS『3年B組金八先生スペシャル 贈る言葉』である。  主人公はもちろん武田鉄矢(73)が演じる金八先生。ほかに悦子先生(名取裕子)らが教職員役で登場する一方、生徒役で浅井雪乃(杉田かおる)、宮沢保(鶴見辰吾)らが出演。第1シリーズのスペシャル版だった。  生徒たちは桜中学卒業から3年が過ぎ、みんな高校3年生になっていた。それでも金八を慕っていた。その1人である九十九弥市(大堀英樹)はある日、悦子先生に対し、自衛官志望であると話す。それを知った金八たちは顔色を失い、そろって大反対。弥市の自衛隊入りの阻止を図る。  金八は考えた末、就職や進学を控えた元教え子たちを集め、特別授業を行なう。軍事による争いが不毛であると力説した。 「軍事力を使わないで済む方法。(それは)世界中の人と共に生きようと思うことです。そして丁寧に話し合い、真剣に理解し合うんです」 「戦う前に話し合うやさしさと辛抱強さを忘れないで下さい」

日航123便墜落事故で変化が

 自衛隊の存在が戦争を招くという論調で、その理屈がよく分からなかった。また、自衛隊肯定派が登場せず、メッセージが一方的だったのも気になった。これも自衛隊に対する反感が根強かった時代が影響したのだろう。ドラマと自衛隊の関係に決定的な変化がもたらされたのは1985年8月だったと見る。520人もの死者が出る大惨事の日本航空123便墜落事故が起きてしまった。  この時、小学生女児1人と中学生女子生徒1人を含む生存者4人を、V-107輸送ヘリコプターで救助したのが、陸自空挺団の災害派遣部隊だった。訓練を積んだ陸自空挺団が出動しなかったら、救助活動は困難だったはずだ。現場の群馬県・御巣鷹の尾根が急勾配で、ホバリング(ヘリの空中停止)もラペリング降下(ロープを使った垂直降下)も容易ではなかったからである。  災害派遣は伊勢湾台風(1959年)のころからあったものの、ケガをしている一般市民をヘリで救う姿が全国に生中継されたのは劇的だった。ちなみに当時、4人の生存者を抱きかかえてヘリに収容した自衛官には取材申し込みが殺到したが、全て固辞している。「国民を守る任務を行なっただけですから」というのが理由だった。  その3年後の1988年の内閣府世論調査では自衛隊に良い印象を持っている人が76.7%に増えた。悪い印象を持っている人は15.6%に減少。1972年とは随分と変わった。さらに1995年の阪神・淡路大震災の災害派遣に計約157万人の自衛官が動員されたことで、世論はまた大きく動いた。
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自衛隊はタブーではなくなった
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