“朝倉未来1000万円企画”のハンバーガー店員「朝昼晩と袋麺でしのいだ」幼少期の苦難
昨年末、AbemaTVの企画「朝倉未来にストリートファイトで勝ったら1000万円」のオーディションにて格闘家の朝倉未来選手にボコられてから一躍有名になった山田豊二さん(通称・おせーよ山田)。
山田豊二』を開設し、現在は登録者数4.6万人(2022年7月4日時点)。有名なYouTuberともコラボするなど、知名度を上げ続けているが、一体どのような人生を歩んできたのか。彼の生い立ちについて話を聞いた。
――おせーよ山田さんの地元は湘南でしたよね。幼少期はどのような暮らしだったのでしょうか。
おせーよ山田(以下、山田):1991年6月1日に神奈川県で3兄弟の末っ子として生まれました。兄弟構成は兄と姉がいます。
ずっと湘南だったわけではなく、3歳まで神奈川県の三浦に住んでいました。その頃、親父は有名企業に勤めていて、すごく安定した生活をしていたのですが……。バブルがはじけて無職になり、多額の借金を抱えてしまって。家を手放さなくてはならなくなりました。
――いきなり想像を絶する波瀾万丈な生活ですね。借金はどのようなものだったのでしょうか?
山田:借金の理由は、親父の散財癖です。あとは調子に乗って不動産投資などに手を出して失敗したことですかね。言ってみれば、バブル崩壊の犠牲者みたいなものです。自業自得とも言えますが……。
もともと親父はバツイチで、僕は会ったことはないけれど、前の奥さんとの間に子どももいたようです。その養育費も払っていたりして、金がいくらあっても足りなかったんでしょうね。とにかく見栄っ張りな親父でした。
――お父さんはなかなか破天荒な方だったんですね。
山田:そこから鎌倉市の平屋に引っ越すことになりました。親父は生活を立て直そうと、タクシーの運転手として家族を養おうとしてたのですが、借金を背負っても浪費癖は治らず。母親との関係は次第に悪くなっていきました。そして、僕が小学3年生の時に離婚し、3兄弟全員が母親に引き取られました。
親父と離れるために、学区が同じ、狭いボロアパートに引っ越すことになりました。養育費を払ってくれなかったので、母親が介護師の仕事をして、兄弟3人を育ててくれて。
――女手一つで3人を育てたとは……苦労されたんですね。
山田:介護士の仕事は給料が安く、お金がない状態だったのでやりたいこともあまりできませんでした。夜勤があったり、一日中働いているため、食事も自分で作らなくてはいけません。朝昼晩と袋麺を食べて過ごしたりとか、まぁろくなものを食べていなかった気がしますね。一般家庭のような生活は難しかったです。
自身が働くハンバーガー屋「JOINT」(東京・目黒)も連日行列を作る繁盛店に。その勢いでYouTubeチャンネル『
安定した生活から一転、バブル崩壊で家庭は借金まみれに
小3の時に両親が離婚「朝昼晩と袋麺を食べて過ごした」
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