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“朝倉未来1000万円企画”のハンバーガー店員「朝昼晩と袋麺でしのいだ」幼少期の苦難

高校卒業後は一般企業に就職して営業マンに

――なかなか優秀だったんですね。 山田:高校卒業後の進路としては、本当は大学に行って空手を続けたい意志もありましたけど、家庭の経済事情もあるので就職することに決めました。奨学金を借りればいいという意見もあるかもしれないですが、あんなものただの学生ローンで35歳くらいまで地獄の返済が待っているじゃないですか。 ――家庭環境で進路を狭められるのは辛いですね。 山田:工業高校なので周りはほとんど技術職が多かったですけど、スーツを着て仕事をしたいというのがあって。精密機器メーカーの営業マンになりました。そこから大阪に転勤になって。安定はしていたけれど、満足のいく生活ではない日々が続いて。  そんな中、行きつけのバーで今の妻と出会い、すぐ同棲を始めました。長く暮らしていくにつれて、結婚が視野に入ってきたのですが、自分の家庭環境もよくなかったし、幸せな結婚生活というものが、いまいち想像できませんでした。自分はろくでもない親父の血を引いているから、まともな結婚生活はできないんじゃないかと思っていました。 ――山田さんはしっかりしているので大丈夫だと思いますが。 山田:本当になかなか結婚について踏ん切りがつかなかったんです。でもバーのマスターの協力もあり、「よし、結婚するぞ!」と妻の誕生日にプロポーズを決意したところで子どもができました。やっぱり子どもを作るのって、自分の意志の力とかは大事なのではないかと思いました。  結婚してから順調に第2子も生まれ、そのタイミングで名古屋へ転勤という辞令がでました。ただ、妻も仕事をしていたので、すぐに辞めることはできなくて。単身赴任で過ごすことになりました。その際、何の縁か知りませんが、朝倉未来選手の出身地、豊橋などを担当していました。 ――朝倉未来選手との縁はそこから始まってたんですね。 山田:かもしれないですね。とはいえ、このまま単身赴任で暮らしていくのも辛くなってきて、何か新しいことをしたいという欲求も出てきました。意を決して会社を辞めて、家族のところへ戻りました。 ――そこからハンバーガー屋を友達とオープンすることになるんですね。 山田:そうです。そのタイミングで現「JOINT」オーナーの佐藤が大阪に遊びに来る機会があって、その時に「ハンバーガー屋をオープンしようと思ってる」という話を聞いて、じゃあ、一緒にやろうかという流れですね。

コロナ禍で家族と向き合った

ジョイントバーガー

JOINTの看板メニュー「ジョイントバーガー」。新鮮でクリーミーなアボカドとオリジナルソースが人気

――家族からの反対はなかったのですか? 山田:ありましたね。まず妻を説得するためにオーナーに来てもらいました。そして、「俺の挑戦を支えてくれ」とお願いをして、なんとか了承を得ました。しかし、お店を出そうというタイミングでコロナ禍に突入してしまい、銀行の融資もなかなか通らず。出店を先延ばしすることになりました。  その間は派遣でいろいろな仕事をして食いつなぎました。でもコロナ禍の一年は、家族と向き合う時間が多くて、絆が深まった感じがしましたね。その間に料理の研究をしたり、基礎的なものを学んだりして。 ジョイントバーガー――メニューは山田さんが考案してるのでしょうか? 山田:オーナーがハンバーガー屋出身なので、基本的にはオーナー考案のメニューを出しています。自分は毎月変わる「マンスリーバーガー」を考えているのですが、評判がよかったものをレギュラーメニュー化しています。
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大物YouTuberと続々とコラボ
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’92年神奈川県鎌倉市出身。ライター業、イベント企画、映像編集で生計を立てています。レビュー、取材、インタビュー記事などを執筆。Twitter:@yamazaki_naoya

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