仕事

看護師、バックパッカーから銀座へ。南国育ちホステスの笑顔に癒される

 男に媚びを売るだけの誰でもできる仕事――夜の街で働く女性たちは、そう色眼鏡で見られがちだ。が、実際には、多種多様な客の要求を見抜き、日々の自己研鑽をも必要とする高度な接客能力が求められる。  クラブ、キャバクラ、スナック、ショーパブ…様々な業態で働く女性たちの普段は口にしない“仕事論”を掘り下げ、仕事と人生のパフォーマンスを上げるヒントを見つけていきたい。

望月ひかりさん

大好きな夜の仕事の魅力を発信していきたい 銀座クラブ「ル・ジャルダン」望月ひかりさん

 多彩な高級クラブがひしめき合う銀座8丁目にあって、銀座の名物ママとして数多くの著書を持つ望月明美氏がオーナーを務める「ル・ジャルダン」は、長きにわたって銀座の夜をリードし続けている。  1年前から同店に在籍している望月ひかりさんは、ベストスコア100を誇る腕前のゴルフは月4回程度ラウンドを周り、フラダンスと琉球舞踊の教室にも通うなど、アクティブな日々を送っている。  二十代前半の頃、看護師と水商売を掛け持ちして資金を貯めて、1年間オーストラリアに短期留学。帰国後は池袋のラウンジでチーママを務めたこともある彼女に、これまでのキャリアや、夜の仕事に対する思いを語ってもらった。 ――オリエンタルな顔立ちが印象的ですが、ルーツが南の島だそうですね。 望月ひかり(以下、望月) 両親が沖永良部島の出身なんです。私自身が生まれ育ったのは東京なんですが、高校の3年間はおばあちゃんの介護もあって、お母さんと一緒に向こうに住んでいました。 ――趣味でフラダンスと琉球舞踊を習っているそうですが、そういうルーツも関係あるんですか? 望月 フラダンスは成人になったタイミングで、何か趣味が欲しくて始めたんですけど、ハマったのはそういうルーツも関係しているのかもしれません。琉球舞踊を始めたのは数ヶ月前なんですけど、私の父が昔から趣味で琉球舞踊の地謡(じかた)として三線を弾いていて。今年、沖縄復帰 50周年を記念して国立劇場で公演があった時に、父も出演していて、それを観に行った時に面白そうだなと思って、私も始めました。

看護師から水商売へ

――水商売を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 望月 もともと看護師をしていたんですけど、オーストラリアに留学をしたかったので、そのための資金が必要で。それで21歳の時に、看護師と掛け持ちで水商売を始めたのがきっかけです。水商売デビューは練馬のスナックだったんですけど、すごく楽しくて。そもそも私は学生時代から人を癒せるお仕事がしたいと思っていて、それで看護師の道に進んだんですけど、水商売を始めて、患者さんを癒すのも、お客さんを癒すのも似ているなと感じたんです。素敵なお仕事だなと思って働くうちに、どんどんハマっていって、やっぱり水商売といったら銀座だよねということで、6年前にル・ジャルダンに入りました。 ――過去にもル・ジャルダンに在籍していたんですね。 望月 ただル・ジャルダンで働き始めた時点でオーストラリア留学が決まっていたので、半年だけお世話になって、留学しました。1年後に帰国して、次は何をしようか考えた時に、もう一度、水商売をやりたいと思ったんですけど、あまりにも見た目がワイルド過ぎて銀座には合わなかったんです。
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コミュニケーションは座学で勉強
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出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。

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