イライラ自体を減らす、より本質的な解決方法
そして「雨が降ってくる量が減れば」洪水が起きづらくなるというたとえで説明されるようなもう1つの方法があります。雨を減らすということは自然現象だからできないように思えるかもしれませんし、同様に「イライラ自体」を減らすことは難しいと感じる方も多いでしょう。しかし、「イライラ自体」を減らすことは可能です。
イライラには色々な種類がありますが、実は自分が勝手に他者に期待して、それが満たされないからイライラするという状況は少なくありません。よく言う話ですが
「勝手な期待」を捨てたら怒りが激減するのです。
例えばこんな事例があります。
「私は元々正義感が強いタイプです。なので電車の中で電話をするなどマナーを守らない人がいたり、道にポイ捨てをする人を見るとすごく腹が立っていました。そのイライラを妻にぶつけていたのです」
端的に言って、人を変えることはできません。仮に目の前のその人に注意してやめさせたところでその瞬間だけのことでしょうし、雨後の筍のごとく出てくるルール違反者を全て取り締まることはできないでしょう。それによってイライラし、最終的には大切な人を傷つけ、別居や離婚にまで発展することを考えた時に、これは果たして機能的な考え方でしょうか。
「あんなことでイライラして妻を傷つけて別れかけることになるなんて、今考えれば本当に馬鹿らしいです。いまはそういうことがあっても、自分にとってこれは大事なことなのかを問い直すようにしています。ほとんどのことは、実際のところ、どうでもいいと今は思います。大事な人を大事にできなくなることは、手放しています」
本当に「頭の手術を受けた?」というレベルで世界の見方が変わり、それによってイライラしなくなることは可能です。
いくつかのバリエーションはありますが、今回のケースでいうと「世界はルールを守るために存在しているわけではない」「自分にとって大切な人との良い関係はルール自体よりも重要である」という気づき、あるいはポジティブな諦めがポイントになります。
この変化が本質的なだけ簡単ではないのですが、本質的なだけ変化が生じた時のポジティブな効果は本当に大きなものがあります。人によっては血圧が下がるなどの身体的な変化を生み出すほどの変化になるのです。
<被害者かもしれないあなたへ>
「もうキレないから」と何度約束され、裏切られたことがあるでしょうか。それがどれほど絶望を与えることか、想像を絶するものがあります。信じるから裏切られるということの必然的な帰結は「強固な不信」です。
愛し合えると信じてパートナーシップを持った人に対して「強固な不信」を持つことは本当に悲しいことであり、その不信はあなたのせいではありません。不信を生み出した側がその変化の責任を背負っていることは自然なことです。
「もうキレないから」と言えているうちは、変容へのモチベーションが少なからずあると思います。安易な約束や精神論ではなく、より適切な学びの場を紹介することが有効かもしれません(「お前が俺をキレさせるんだろうが!」などと言う場合もあり、これは一層変容の難度が上がるケースです)。
ただし、これだけは強調させてください。
あなたは決してパートナーの変容を支援する義務も責任もないということです。それはもう大人であるパートナーが自ら取り組むことです。ですから「私がもう少し頑張れば……」と抱え込み過ぎる前に、ぜひ被害者向けのコミュニティや場を調べてみてください。
<加害者かもしれないあなたへ>
「キレないようにする」という覚悟や決意にはあまり意味がありません。しかし、それは「キレないようにするなんて不可能だ」ということでは決してありません。
大事なのは「キレる」ということの構造を理解し、より本質的な原因や課題に向き合うことです。付け加えるならば、それに向き合うというしんどい体験を一緒にやってくれる仲間と取り組むことで自分を動機付けすることです。
人は学び変わることができます。それは
他の誰のためでもなく、誰よりも自分自身の幸福のために寄与します。自分の加害性を自覚し、変わりたいと願う人は、ぜひGADHAなどのコミュニティにご参加ください。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
えいなか