マナー違反続出で「駅のピアノ」が撤去。海外とは明らかに違う、日本のストリートピアノの“つまらなさ”
日本のストリートピアノには「グルーヴ」が生まれない
だからピアノの設置場所が気になってしまいます。日本の場合は通行人の邪魔にならない場所にあることが多いからです。特に神戸の西神中央駅のピアノは改札から遠く離れた窓際にぽつんと置かれていて、なんとも物寂しい感じがしました。 実際、駅の利用者とピアノ奏者が交わることはなく、壁で区切られているわけではないのに個室のように閉じたムードを醸し出していたのです。 それ以外の場所でも、日本では“ここで弾いてください”と規制線を張ったような設置が多いのでグルーヴが生まれません。 確かに迷惑にならないような配慮は必要なのでしょう。加古川のケースも駅の利用者からの苦情がきっかけでした。それでも何らかの志を持ってピアノという“巨大な異物”を置くと決めた以上は、配慮を上回る理想を貫いてもいいのではないかとも感じるのですね。 雑多な環境にあるピアノだからこそ生まれたシーンとして、ノルウェーのオスロ空港の回は忘れられません。 「ならず者」(イーグルス)を静かに弾き語りするドイツ人教師のそばを通り過ぎようとしながらも思わず聞き入ってしまった若者の姿。人通りのノイズに紛れ込んだ音楽が、いつの間にか人の足を止める。耳を澄ます瞬間、不意に生まれる儚いコミュニティがそこにはありました。 それこそがストリートピアノの醍醐味なのだとしたら、日本の場合多くはそれを端から放棄してしまっていると言えるのではないでしょうか。
日本のストリートピアノは“音楽”というより…
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