マナー違反続出で「駅のピアノ」が撤去。海外とは明らかに違う、日本のストリートピアノの“つまらなさ”
兵庫県のJR加古川駅のストリートピアノが4月30日に廃止されることになりました。理由は利用者のマナー違反。1人10分の演奏時間を守らなかったり、必要以上に大きな音で演奏したりして、周囲の迷惑になるケースが多発しているのだそう。行政も演奏者に啓発活動をしてきたものの、状況が改善せず今回の決定に至りました。
もともとストリートピアノは2008年にイギリスの“Play me, I’m Yours”という活動から始まりました。見知らぬ人同士が知り合うきっかけとして音楽とピアノを活用したのです。こうしたパブリックスペースのゆるやかな雰囲気が共感を呼び、日本でも街中にピアノを設置する動きが見られるようになりました。
しかし、YouTubeなどの動画でピアノの腕自慢が出現しだしたことで状況は一変。時間をかけて撮影機材の設置をしては一人でピアノを独占し続ける状況が当たり前になり、各地で問題になっているとの目撃談もあります。
バズり目的の利用者が増えたことでパブリックスペースとしての価値を失い、近年では無料のアトラクション程度の意味合いしかなくなってしまいました。今回の加古川は象徴的なケースなのだと思います。
以前から筆者は日本のストリートピアノ文化に違和感を感じていました。NHK-BSの『駅ピアノ』、『空港ピアノ』、『街角ピアノ』をコンプリートするマニアとして言うならば、海外と日本とでは明らかに空気感が違う。もっと言えば日本のシリーズはつまらないのです。
一体何が原因なのでしょうか?
まず、日本のストリートピアノには“他者”が存在しません。確かに見物人はいるのだけど、そこで演奏者との間に何らかのコミュニケーションはほぼ発生しない。譜面や機材を持ち込んで練習の成果を披露する人と、その“作業”をただ見守る人がいるのみです。
演奏が終わってもまばらな拍手があればいい方。シーンとした中、まごまごとピアノを後にする光景ばかりで、余韻がありません。言葉は悪いかも知れませんが、“用を足しに来た”という雰囲気なのですね。
一方、海外のストリートピアノには意外性があります。ロンドンのパンクラス駅の回では、ベートーヴェンの「歓喜の歌」をダウン症の女の子とカジュアルなアレンジで連弾する男性が印象に残りました。
女の子は好きなように鍵盤を叩くだけなのですが、男性はそれを受け入れて“いいよ、いいよ。その調子”と応援して弾き続ける。演奏が終わると、駅中に響き渡るほどの大きな音でハイタッチ。ストリートピアノの原点である公共空間の精神が最もよく現れているシーンでした。
海外と日本とでは明らかに違う「空気感」
コミュニケーションのない「日本のストリートピアノ」
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