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作家とはかくも遠く、でも今を一緒に生きる同じ人間だ/川上未映子・著『深く、しっかり息をして 川上未映子エッセイ集』書評

―[書店員の書評]―
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。日刊SPA!で書店員による書評コーナーがスタート。ここが人と本との出会いの場になりますように。

川上未映子・著『深く、しっかり息をして 川上未映子エッセイ集』(マガジンハウス)

 あなたは川上未映子という作家をご存知だろうか。と、わざわざ書きたくなるのは、現在32歳の私は人生のほとんどが川上さんの小説や言葉とともにあったからで、あまりにも私の生活そのものだからなのだ。好きすぎるあまり、油断していると私は衣食住の話題と同じくらいの当たり前さでもって、人に川上さんの話をしてしまう。どんな話をしていても川上さんの話題にすり替えることができるほどである。小説をほとんど読まない友人に「?」という顔をされて初めて、またやってしまったと我に返る。  私が紹介するまでもなく、川上未映子さんは現代を代表する作家の一人だ。’08年に『乳と卵』で芥川賞を受賞。’19年に上梓した『夏物語』は40か国以上で翻訳出版されベストセラーとなっている。最新長編の『黄色い家』は、これまでの川上作品にはないクライム・サスペンスで読者を魅了した。  今作『深く、しっかり息をして』は、川上さんが雑誌『Hanako』で12年間連載をしていたエッセイ「りぼんにお願い」が1冊にまとめた最新刊だ。12年もの歳月、この世の中もいろいろな変化があった。そのときどきの社会問題や、近年のCOVID-19にも言及された日記形式の今作を読むと、月日の流れとともに川上さんの考えの変化や軌跡が読み取れる。作家とはこんなにも遠い存在だけれど、今を一緒に生きている同じ人間なのだということがあらためてわかって、なんだか心強い気持ちになる。  日常のささやかな出来事や買いもの事情、メイクや育児についてなどが、川上さんならではのリズム感で綴られた軽やかなテーマの前半。’17年頃に書かれた中盤は、夫婦別姓を始めとするジェンダー問題や、米大統領選における政治、差別問題についてなど、私たちが生きていく上で決して看過できないテーマについても触れられる。いわゆる世間の常識や、しょうがないと諦めていたことに対して別の見方を与えてくれ、時に一緒になって怒ってくれるエッセイの数々は、信頼できる友人や先輩とのおしゃべりのようだ。  なかでも自身のサイン会についてのエッセイ「涙のやってくるところ」を紹介したい。川上さんを目の前にして、思いを堪えきれず泣いてしまう読者の女の子を見て、川上さんも泣いてしまう。それは「ありがとう」という気持ちだけでなく、ひとりの若い女の子が一生懸命に本を読んで、あれこれ考え、悩んだり不安に思いながら日々を生きているその尊さに対して胸がいっぱいになるからなのだという。川上さんのサイン会に並んでいた読者の立場から、そのサイン会を仕切る書店員の立場になった今、私自身も何度も目の前で涙する川上さんと読者を見た。そしていつもつられて泣いてしまう。それは、うまく言えないけれど、「こんな世界でばらばらに生きている人たちが、こうして生き延びて出逢えた奇跡」に立ち合っている、という感動があるからなのだ。  川上未映子という作家は、自分をちぎってまで人に力を与え、寄り添ってくれる存在だと思う。削って、というのともまた違うのである。弱い立場にいる人や、何も持たずに生まれてきた人を、絶対に置いていかない。絶対に忘れない。なんでここまで書いてくれるの、と泣きたくなるほどに踏み込んで、あらゆる角度から問い続け、限界を超えていく小説の数々。そのあり得ないほどの本気度に、我々読者は揺さぶられ、朦朧となりつつ好きにならざるをえない。『深く、しっかり息をして』は、それらの小説をかたちづくるパズルのピースのような言葉たちがちりばめられている。  生まれ変わったら、なんて意味のないことを考えるとき、私は川上さんの友達になりたいと本気で思う。今みたいに、神さまだと崇めるのではなく、同じ目線で。「なぁ未映子、今日こんなことあってんけどどう思う?」「そのアイシャドウめっさ可愛い!」。そんなおしゃべりは現世で叶うはずもないので、私はいつでも鞄の中にこのエッセイを入れているのだ。 評者/市川真意 1991年、大阪府生まれ。ジュンク堂書店池袋本店文芸書担当。好きなジャンルは純文学・哲学・短歌・ノンフィクション。好きな作家は川上未映子さん。本とコスメと犬が大好き
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