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「毎月7万円の仕送り」を強要された30代女性…“毒親の洗脳”を解いた婚約者の一言

 毒親育ちは、人生の足枷になる。毒親に育てられた子どもは、およそ“子ども”と呼べる年齢を過ぎてなお、精神的に支配され、懊悩を続けるからだ。  本連載では、毒親に育てられながらも、社会で自分の場所を見つけようともがく市井の人々に焦点を当てる。  歯科衛生士として勤務する岡本浩子氏(仮名・30代)は、数年前に東京に転居してきた。初めての独り暮らしだ。結婚を控えたパートナーもいる。 「県外に出ることは、私にとって大冒険でした。それまでは狭くて暗い檻の中にいたので……」  東京からそう遠くない地域の出身である岡本氏がここまで言うのには、理由があった。
落ち込む女性

画像はイメージです

母には誰も逆らえなかった

「母子家庭の長女で、下に弟が2人います。母は朝から晩まで働いて、私たちを育ててくれました。有能な女性だったと思います」  何の問題もない、むしろ幸せな家庭に聞こえるが、内実はやや異なっていた。 「母には誰も逆らえませんでした。『誰のおかげで生活できているの?』と激高されると、学生時代は何も言い返せませんよね」

「あなたは私の最高傑作」といわれて

 子ども3人を背負って働く母親の姿を間近で見ていた岡本氏は、恩義を感じていた。そのため当時は反発を覚えることもなく「確かにそうだ」と言い聞かせていたという。 「ありがたいことに、生活水準も高かったと思います。世間一般で言われる、母子家庭の経済的な苦しさみたいなものも、感じたことはありません。ただやはり、母に素直に甘えられる関係性じゃなかったのは、残念だなと思います。私、反抗期ってなかったんですよ。母と私の間には大きな川が流れているイメージで、お互いにそれを飛び越えて歩み寄るのはきついなって感じでした」  そんな歪な関係性を維持させた、母親の呪いの言葉がある。 「よく言われたのは、『あなたは私の最高傑作』という言葉です。第一子だし、自分よりも磨かれた存在でいてほしいという思いがあったのでしょうね。そういわれるたびに、『ちゃんとしなきゃ』『しっかりしなきゃ』と自分を律しました。弟2人は母親の期待に沿えないことも多かったのに対して、私だけはそんな風になっちゃいけない、というのがあって
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母は精神を病み、弟は不登校に…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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